平安初期の真言宗の僧。弘法(こうぼう)大師空海十大弟子の一人。左京の紀御園(きのみその)の子。幼時には儒学を学んだが、空海を慕って密教に入り、824年(天長1)伝法大阿闍梨(だいあじゃり)となる。続いて空海から高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺(じんごじ))において事相(じそう)を受け、それを編集したのが『高雄口訣(くけつ)』として現存する。空海が高野山(こうやさん)に隠棲(いんせい)してからは、高雄山寺を預けられた。836年(承和3)には入唐(にっとう)の勅を奉じ、真然(しんぜん)(804/812―891)と遣唐船に乗ったが、台風にあって断念した。840年神護寺別当、847年東寺(とうじ)長者となる。856年(斉衡3)には真言宗で初めて僧正となったが、このとき彼は師の空海より階を超えるとして固辞し、むしろ大師に僧正位を請うが、大師に大僧正を贈るということで承諾した。これから高雄僧正とも称せられている。空海の願文・詩文などを集めた『性霊集(しょうりょうしゅう)』は、彼の編集によるものである。
[平井宥慶 2017年8月21日]
平安時代初期の真言宗の僧。高雄(たかお)僧正,柿本僧正,紀(きの)僧正とも呼ばれた。紀御園の子として京都に生まれた。若くして空海に就いて真言密教を学ぶ。824年(天長1)両部大法を受け,伝法阿闍梨(あじやり)となった。836年(承和3)真然とともに入唐を企てたが暴風のために断念した。40年神護寺に入り,内供奉(ないぐぶ)十禅師,神護寺別当,43年東寺二長者(二長者の初例),47年東寺一長者となった。853年(仁寿3)神護寺に年分度者3人を置き,857年(天安1)には自分の僧位を辞退して空海に大僧正の追贈を受けている。858年文徳天皇の病気平癒を祈ったが,崩御したため人々の非難にあい失脚隠居した。空海の詩文を集めて《性霊集(しようりようしゆう)》とし,その序文は名文として有名。伝説では,高雄山に12年こもったが,染殿の后を見て心に迷いを生じ,没後に大天狗と化し,愛宕山の太郎坊となったという。
執筆者:和多 秀乗
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(津田眞一)
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