真里谷郷(読み)まりやつごう

日本歴史地名大系 「真里谷郷」の解説

真里谷郷
まりやつごう

真里谷一帯に比定され、畔蒜あびる庄内であったと思われる(年月日未詳「真如寺鐘銘」上総国誌)真里まりやつ・丸ヶ谷・童谷などとも記され、真里谷武田氏の拠城真里谷城があった。建武四年(一三三七)と考えられる年月日未詳の相馬乙鶴丸代妙蓮申状案(相馬岡田文書)に「真利谷等郷」とみえ、妙蓮は合戦の恩賞として相馬一族中に預けられていた当郷などを、同三年四月北朝方に属して戦死した相馬胤康の遺領として子息乙鶴丸に安堵されるよう求めている。康正二年(一四五六)古河公方足利成氏方の武田信長庁南ちようなん(現長南町)と真里谷城を攻め取り、これ以後両城を拠点とし(鎌倉大草紙)信長子孫は真里谷氏を称するが(「武田系図」など)、文明一一年(一四七九)七月「丸ケ谷の上総介」は関東管領上杉顕定方の千葉自胤軍勢に攻められ、降参している(鎌倉大草紙)。永正四年(一五〇七)には真里谷と号した武田信嗣が大檀那となって鶴峯つるみね八幡宮(現富津市)を再興しており(同年一一月二八日「棟札銘」同宮蔵)、同七年には摩利谷某が畦蒜庄を押領している(「実隆公記」同年五月七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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