真野毅(読み)マノ ツヨシ

20世紀日本人名事典 「真野毅」の解説

真野 毅
マノ ツヨシ

大正・昭和期の弁護士 元・最高裁判事



生年
明治21(1888)年6月9日

没年
昭和61(1986)年8月28日

出生地
愛知県稲沢市

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和39年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和48年〕

経歴
大正3年弁護士を開業。9年東京帝大講師。15年第二東京弁護士会設立に参加、15年同会会長となる。22年最高裁発足と同時に判事に就任。尊属傷害致死事件では刑法205条が違憲であると主張、また口頭弁論を開かず死刑判決を出した三鷹事件では新聞・雑誌で意見を発表するなど、終始リベラル派の判事として活躍した。33年退官。41年国家公安委員となる。著書に「裁判と現代」「鶴と亀」(随筆)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真野毅」の解説

真野毅 まの-つよし

1888-1986 大正-昭和時代の弁護士,裁判官
明治21年6月9日生まれ。大正3年弁護士を開業。昭和15年,22年の2度第二東京弁護士会会長をつとめる。22年最高裁判事となり,尊属殺事件,チャタレイ事件などに関与。人権擁護,護憲立場からおおくの「少数意見」をしめした。昭和61年8月28日死去。98歳。愛知県出身。東京帝大卒。
格言など】人の生命尊貴である。一人の生命は地球より重い(昭和23年大法廷判決起草文)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「真野毅」の解説

真野 毅 (まの つよし)

生年月日:1888年6月9日
大正時代;昭和時代の弁護士;裁判官。最高裁判事
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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