コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

三鷹事件 みたかじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三鷹事件
みたかじけん

第2次世界大戦後,国鉄をめぐって生起した三大事件の1つ。 1949年7月 15日の夜9時 24分,中央線三鷹電車区構内に入庫中の無人電車が,三鷹駅下り1番線に時速 60km以上で暴走車止に激突して転覆,死者6名,負傷者 20名を出した事件。当時国鉄労働組合では人員整理反対の闘争が激化していたが,この事件は国鉄の首切反対のために,同組合に属する組合員 10名の共同謀議による計画的犯行であるとして,同年8月 22日起訴された。 50年8月 11日の第1審は元三鷹電車区検査掛竹内景助の単独犯行と認定されて無期,他は無罪判決があり,第2審判決では竹内の無期を死刑とし,他は原審通り無罪。さらに上告がなされ,55年6月 22日の最高裁判所の上告棄却判決によって竹内の死刑が確定した。しかし,最高裁で口頭弁論が行われなかったことから,竹内は東京高等裁判所に再審を請求していたが,その審理中の 67年1月東京拘置所で病死した。第2次世界大戦後の占領下で,世情不安定のさなか,下山事件松川事件とともに,政治的にも社会的にも大きな意味をもった事件であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

三鷹事件

1949年7月15日夜、三鷹駅構内で7両編成の無人電車が暴走して脱線。6人が死亡、20人近くが重軽傷を負った。組合員だった共産党員ら10人が電車転覆致死罪などで起訴されたが、一審では、ただ1人非共産党員の竹内景助被告が最終陳述などで「単独犯行」を主張、9人が無罪となった。死刑が確定した竹内被告は、無罪を主張して再審を請求中の67年に死亡した。

(2009-07-11 朝日新聞 夕刊 2社会)

出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報

デジタル大辞泉の解説

みたか‐じけん【三鷹事件】

昭和24年(1949)国鉄中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走、脱線して死傷者を出した事件。人員整理に反対する国鉄労働組合などの計画的犯行として共産党員など組合員が起訴されたが、昭和30年(1955)に最高裁は非共産党員による単独犯行と判決を下した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

三鷹事件【みたかじけん】

1949年7月15日中央本線三鷹電車区構内で無人電車が暴走し,20人が死傷した事件。下山事件松川事件とともに国労側の陰謀と宣伝された。10人が起訴,1955年の判決で死刑1人,他は無罪。
→関連項目青梅事件自由法曹団布施辰治正木ひろし山崎今朝弥

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みたかじけん【三鷹事件】

1949年7月15日夜,国電中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走し,駅前の民家などに突入して死者6名,負傷者20名を出した事件。当時,吉田茂内閣は行政機関職員定員法による行政整理をすすめていたが,国鉄当局は7月4日に第1次人員整理を通告,12日に第2次通告を発表し,国鉄労働組合(国労)は反対闘争に入っていた。また闘争最中の同月5日には下山事件がおきた。このような社会不安のなかで,政府は三鷹事件も共産党員による暴力事件であるときめつけ,検察は国労三鷹電車区分会の共産党員らの共同謀議による計画的犯行として,飯田七三同分会委員長ら10名を電車顚覆致死罪等の容疑で逮捕,起訴した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

みたかじけん【三鷹事件】

1949年(昭和24)7月15日、中央線三鷹駅車庫から無人電車が暴走、二十数人の死傷者を出した事件。捜査当局は人員整理に反対していた国鉄労働組合員の共同謀議による計画的犯行として一〇人を起訴したが、55年最高裁で単独犯行と判決された。 → 下山事件松川事件

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三鷹事件
みたかじけん

1949年(昭和24)7月15日午後9時過ぎ、国鉄の中央線三鷹駅で無人電車が暴走し、死者6人(一審判決)ほか重軽傷者を出した事件。これに先だつ7月12日、国鉄当局は約6万3000人の第二次人員整理のため解雇通告を始めたが、7月15日の国鉄労組中闘委員会は反対運動をめぐって統一左派と民同派が対立、分裂状態に陥っていた。事件はこの夜起こり、翌日吉田茂首相は、一部の組合や共産党が社会不安を挑発、扇動していると断じた。捜査当局も、共産党の国鉄労組関係者が反対闘争を盛り上げるために行った犯行と断定、三鷹電車区分会員など10人を「電車往来危険、同転覆、同致死罪」で起訴した。分会員9人はすべて解雇者であり、竹内景助以外は共産党員であった。下山(しもやま)事件に続くこの事件は、国労の反対闘争に大打撃を与え、国労中央委員会がストを含む実力行使の方針を撤回する一方で、解雇は順調に進んだ。
 公判では、被告らの共同謀議に基づき列車暴走、転覆をねらった犯行か否かが争点となったが、1950年8月11日の一審(東京地裁)は、共同謀議は実体のない「空中楼閣である」として、単独犯行を主張した竹内被告を無期懲役にしたほか、他の9被告には無罪を宣告した。ついで51年3月30日の二審も、共同謀議は証明不十分として一審を支持したが、竹内には死刑を言い渡した。55年6月22日、最高裁は8対7という僅差(きんさ)の多数決で上告棄却、刑が確定した。竹内被告は上告審前後から無実を主張し、棄却後も再審を請求していたが、再審決定審理中の67年1月病死した。なお、最高裁が口頭弁論を開かず判決を言い渡したことが、学界・法曹界で問題化し、以後最高裁における死刑事件審理では口頭弁論を開く慣行が生まれた。[荒川章二]
『小松良郎著『三鷹事件』(1967・三一書房) ▽田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第1巻』(1980・第一法規出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の三鷹事件の言及

【国鉄行政整理反対闘争】より

…6月末の中央委員会で国鉄労組は,公労法をあえて無視して〈ストをも含む実力行使〉を決議した。しかし,下山事件,三鷹事件の衝撃や(国労)民同派による組合分裂の動き,左派内部にもあった占領軍による弾圧への恐れからくるためらいなどが重なって,国鉄労組は解雇通告が発せられた7月の決定的段階でこの決議を実行に移せず,解雇は大きな抵抗なしに遂行された。また民同派中闘の発した零号指令によって被解雇者の組合員資格が奪われ,左派系役員は組合から放逐された。…

※「三鷹事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

三鷹事件の関連キーワードキャノン ジャック川口 光太郎山崎 今朝弥レッドパージ正木 ひろし福井 盛太谷村 直雄岡崎 一夫岡林 辰雄鈴木 忠五布施 辰治神道 寛次岡本 唐貴斎藤 悠輔竹内 景助馬場義続福井盛太鉄道事故蓬田 武谷村直雄

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

三鷹事件の関連情報