矢代東村(読み)ヤシロ トウソン

20世紀日本人名事典 「矢代東村」の解説

矢代 東村
ヤシロ トウソン

大正・昭和期の歌人,弁護士



生年
明治22(1889)年3月11日

没年
昭和27(1952)年9月13日

出生地
千葉県

本名
矢代 亀広

別名
旧号=都会詩人

学歴〔年〕
青山師範〔明治43年〕卒

経歴
卒業後から大正10年まで小学校教員を務め、その間日本大学専門部法科に学び、弁護士試験に合格し、11年弁護士を開業した。歌は「東京朝日新聞」に投稿し、大正元年白日社に入社して前田夕暮に師事。多くの雑誌を経て13年「日光」の創刊に参加。昭和3年新興歌人連盟に、4年プロレタリア歌人連盟に参加。8年「短歌評論」を創刊。17年の「短歌評論」グループ事件で検挙され5カ月拘留された。21年新日本歌人協会が設立され「人民短歌」の創刊とともに活動を再開した。歌集に「一隅より」(昭6)、「早春」(昭22)があり、没後の29年「東村遺歌集」が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢代東村」の意味・わかりやすい解説

矢代東村
やしろとうそん
(1889―1952)

歌人。千葉県生まれ。本名亀広(かめひろ)、別号都会詩人。青山師範学校、日本大学専門部法科卒業、弁護士となる。前田夕暮(ゆうぐれ)の「白日社」に入り、『生活と芸術』など諸誌に短歌を発表。『日光』創刊に参加、また昭和期のプロレタリア短歌運動に活躍。戦後は『人民短歌』の中心の一人。口語行分けの表記による作に自在を加え、生活派を継承する口語歌を推進させた。歌集に『一隅より』(1931)、『早春』(1947)、『東村遺歌集』(1954)がある。

武川忠一

 広い――/広い――/小麦畑だ。コンバインだ。/コンバインだ。/空は青いんだ。

『『新日本歌人 矢代東村追悼号』(1952.12・新日本歌人協会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢代東村」の解説

矢代東村 やしろ-とうそん

1889-1952 大正-昭和時代の歌人。
明治22年3月11日生まれ。前田夕暮(ゆうぐれ)の白日社にはいり,「生活と芸術」などに短歌を発表。大正4年から口語歌をはじめ,プロレタリア短歌運動にくわわる。11年弁護士を開業。戦後は「人民短歌」同人。昭和27年9月13日死去。63歳。千葉県出身。日大卒。本名は亀広。別号に都会詩人。歌集に「一隅より」「早春」。
格言など】はらだたしわが満足はいつまでもいつまでも明日があづかりてあり(「一隅より」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「矢代東村」の解説

矢代 東村 (やしろ とうそん)

生年月日:1889年3月11日
大正時代;昭和時代の歌人
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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