口語による短歌。短歌を現代の口語で書けという声は明治20年(1887)ごろの言文一致の運動とともにおこった。1888年(明治21)林甕臣(みかおみ)の「言文一致歌」の提唱に次いで、西出朝風、青山霞村(かそん)の試作に始まる。初期のものは文語短歌の口語訳といった形であった。「めいめいに寝るだけの巣はもつてゐて疲れて帰るそのあどけなさ」(西村陽吉)のように、一般に口語定型で生活派意識の強いのが特徴である。1926年(大正15)新短歌協会が結成され、霞村、陽吉、渡辺順三、松本昌夫(まさお)、清水信(しん)、花岡謙二、石原純(じゅん)らが参加した。口語歌はのちに非定型口語歌すなわち自由律短歌に移行し、近代主義的な傾向が目だった。
[中野嘉一]
『中野嘉一著『新短歌の歴史』(1967・昭森社)』
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