20世紀日本人名事典 「矢部吉禎」の解説 矢部 吉禎ヤベ ヨシサダ 明治〜昭和期の植物学者 東京文理科大学教授。 生年明治9年3月3日(1876年) 没年昭和6(1931)年8月23日 出身地東京 学歴〔年〕東京帝大卒 学位〔年〕理学博士 経歴母校・東京帝大の助教授となり、明治33年清(中国)の招きで北京大学堂教授に転じる。中国各地の植物を採集・研究し、帰国後、東京女子高等師範学校教授、東京文理科大学教授を歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢部吉禎」の意味・わかりやすい解説 矢部吉禎やべよしただ [生]1876.3.3. 東京[没]1931.8.23. 東京植物学者。北京京師大学堂師範館教習 (1904~09) 。日本の植物分類学者として中国大陸の高等植物の研究に従事した先駆者の一人。帰国後東京女子高等師範学校教授 (09) 。東京文理科大学の創設にあたって同大学植物学教授となった (28) 。晩年は日本特産の緑藻類の一種カワノリの生活史について啓蒙的な研究をしたのをはじめとして,日本の下等植物に関する分類学の発展に努めた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢部吉禎」の解説 矢部吉禎 やべ-よしさだ 1876-1931 明治-昭和時代前期の植物学者。明治9年3月3日生まれ。矢部長克(ひさかつ)の兄。母校東京帝大の助教授となり,明治33年清(しん)(中国)の招きで北京大学堂教授。中国各地の植物を採集・研究し,帰国後,東京女高師,東京文理大の教授を歴任した。昭和6年8月23日死去。56歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by