矢野勘治(読み)ヤノ カンジ

20世紀日本人名事典 「矢野勘治」の解説

矢野 勘治
ヤノ カンジ

明治〜昭和期の歌人 横浜正金銀行取締役。 一高寮歌作詞者。



生年
明治13(1880)年12月20日

没年
昭和36(1961)年6月18日

出生地
兵庫県龍野市

旧姓(旧名)
三木

別名
俳号=興安嶺

学歴〔年〕
東京帝大法学部政治学科〔明治39年〕卒

主な受賞名〔年〕
龍野市名誉市民〔昭和34年〕

経歴
呉服店主・三木定七の二男に生まれ、矢野温の養子となる。明治32年一高に入学する一方、同年根岸短歌会に入って正岡子規門下となり、短歌や俳句を学ぶ。39年東京帝大を卒業して横浜正金銀行に入行。北京・上海・漢口・ロンドンの各支店勤務を経て、大正5年本店総務課次長、7年長春支店支配人、8年ウラジオ兼ハルビン支店支配人、9年本店副総支配人、11年ロンドン支店支配人、昭和2年本店内国部長、5〜11年大阪支店支配人などを歴任。10年取締役となり、16年退職した。一高時代の明治34年、同高西寮寮歌「春爛漫の花の色」、35年東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を作詞した。晩年を過ごした兵庫県龍野市の自宅を、平成4年矢野勘治記念館として開館、各種関係資料や遺品を展示している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢野勘治」の解説

矢野勘治 やの-かんじ

1880-1961 明治-昭和時代の銀行家,歌人。
明治13年12月20日生まれ。一高時代に正岡子規の門にはいり,短歌や俳句をまなぶ。東京帝大卒業後,横浜正金銀行にはいり,大阪支店長,取締役などをつとめた。一高時代の明治34年同高西寮寮歌「春爛漫(らんまん)の花の色」,35年東寮寮歌「嗚呼(ああ)玉杯に花うけて」を作詞した。昭和36年6月18日死去。80歳。兵庫県出身。旧姓は三木。俳号は興安嶺。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の矢野勘治の言及

【学生歌】より

…94年に第一高等学校(一高)となり,翌年の寮開設記念祭から毎年寮歌を作りはじめた。はじめは唱歌,軍歌の替歌であったが,1901年の《アムール河の》(塩田環作詞,栗林宇一作曲),《春爛漫の》(矢野勘治作詞,豊原雄太郎作曲)あたりから学生自身が作曲するようになった。翌02年の《嗚呼玉杯に》(矢野勘治作詞,楠正一作曲)は,新時代を象徴する歌として演歌師によっても歌い広められ,学生のみならず一般の流行歌となった。…

※「矢野勘治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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