石井辰子(読み)イシイ タツコ

20世紀日本人名事典 「石井辰子」の解説

石井 辰子
イシイ タツコ

明治・大正期の社会事業家 岡山孤児院院長。



生年
文久3年(1863年)

没年
昭和2(1927)年3月21日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
同志社病院附属京都看護婦学校〔明治26年〕卒

経歴
関西法律学校(現在の関西大学)の創立者の一人である吉田一士結婚するが、間もなく夫が早世。その後、同志社病院附属の京都看護婦学校に入り、看護学を学ぶ。在学中、病気入院していた岡山孤児院長・石井十次知遇を得、卒業後は石井の勧めにより同院で孤児の養育に当たった。明治28年石井と再婚。35年には院内に看護科を設け、看護教育を開始した。石井の没後はその遺志を引き継ぎ、大正10年4代目同院長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井辰子」の解説

石井辰子 いしい-たつこ

1863-1927 明治-大正時代の社会事業家。
文久3年生まれ。関西法律学校(現関西大)を創立した吉田一士(かずし)と結婚。夫が早世し,同志社の京都看病婦学校にはいる。卒業後,石井十次のすすめで岡山孤児院につとめ,明治28年石井と再婚した。同院に看護科をもうけて看護教育を推進。大正10年同院長となる。昭和2年3月21日死去。65歳。福岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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