石倉俊寛(読み)イシクラ シュンカン

20世紀日本人名事典 「石倉俊寛」の解説

石倉 俊寛
イシクラ シュンカン

明治〜昭和期の海軍主計少将 松江市長



生年
明治13(1880)年2月11日

没年
昭和50(1975)年3月20日

出生地
島根県津田村(現・松江市)

旧姓(旧名)
青戸

学歴〔年〕
海軍主計官練習所卒

経歴
島根県下で代用教員を務めたのち、明治34年に上京。和仏法律学校を経て海軍主計官練習所に学び、海軍主計軍人となった。日露戦争の際には駆逐艦「朧」及び戦艦出雲乗組員として従軍。のち南洋群島防備隊主計長・呉海軍経理部第一課長などを歴任、累進して海軍主計少将となり、昭和2年に退官。帰郷後、4年に松江市長に就任し、4機20年を務める間に市営ガス事業の開始・公共施設の建築・橋や道路の整備などを推進し、市政の近代化に大きな足跡を残した。また周辺町村を合併し、市域の拡大にも成功。退任後は松江信用金庫理事長などの職に就いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石倉俊寛」の解説

石倉俊寛 いしくら-しゅんかん

1880-1975 明治-昭和時代前期の軍人,市長。
明治13年2月11日生まれ。海軍軍人として日露戦争に参加,昭和2年海軍主計少将で退官。4年から20年まで4期16年間郷里島根県松江市の市長をつとめ,松江市近代化の基礎をつくった。昭和50年3月20日死去。95歳。海軍主計官養成所卒。旧姓は青戸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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