石地村(読み)いしじむら

日本歴史地名大系 「石地村」の解説

石地村
いしじむら

[現在地名]西山町石地

北は三島さんとう勝見かつみ村、東は同郡稲川いながわ(以上現出雲崎町)。南は弾気山だんきやまを挟んで尾町おまち村、西は日本海に面し、沿岸北国街道が通る。二田ふただ物部もののべ神社の社伝によると、同社は初め石地にあったと伝える。元和二年(一六一六)長岡藩領、同四年長峰藩領、同五年高田藩領、天和元年(一六八一)幕府領、貞享三年(一六八六)高田藩領、宝永七年(一七一〇)幕府領。元和四年の長岡藩知行目録では高一三〇石七斗余。正保国絵図では石地町高一一〇石余、飯森村高一五石余、高塩屋村高一〇石余の村。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では酒屋四軒と「駅馬船着」と記す。同五年の酒造分は米二四五石とある。天和三年の越後中将御領覚では高一六一石三斗余。


石地村
いしじむら

[現在地名]見附市石地町・細越ほそごえ一―二丁目

庄川しようがわ村の北、東山丘陵と刈谷田かりやだ川右岸の段丘の接点に位置する。北の背後は大平おおひら堤のある山地。西は島切窪しまきりくぼ村。正中二年(一三二五)一一月二六日、僧禅願は「大面荘石地条」の盖天庵で古註論語一〇巻を書写している(「論語奥書」越佐史料)。元和五年(一六一九)の堀主膳触書(岩本功氏蔵)によると見附組源右衛門触下の村。正保国絵図に高一七〇石余、村松藩領。寛永一六年(一六三九)の長瀬小右衛門書状(三本直一氏蔵)によると、当村と島切窪・庄川用水の二ヵ所を堰止めて、嶺崎みねざきまで新しく水路を掘って葛巻くずまき野に新田を開くよう奨励している。寛文一〇年(一六七〇)の本畑検地野帳と同年の新畑検地野帳ならびに同一二年の田方検地帳(以上目黒家文書)によれば、本畑二町五反余・新畑二町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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