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石塔頼房 いしどう よりふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石塔頼房 いしどう-よりふさ

?-? 南北朝時代の武将。
石塔義房の子。父とともに足利尊氏挙兵に応じて功をたて,貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年(1349)伊勢(いせ)(三重県)の守護となる。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)にしたがう。直義の死後は南朝方の将として活躍するが,貞治(じょうじ)3=正平19年北朝方の足利義詮(よしあきら)に降伏した。

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世界大百科事典 第2版の解説

いしどうよりふさ【石塔頼房】

南北朝時代の武将。生没年不詳。父は奥州総大将義房。義房に従い東国各地を転戦。1349年(正平4∥貞和5)より51年(正平6∥観応2)まで伊勢国守護。高師直と対立し,観応の擾乱(じようらん)では奥州総大将を解任された義房とともに直義方に属した。一時尊氏軍を破って入京し,引付頭人となったが,直義が敗死したことにより降伏。のちに南朝に属し,足利義詮らと戦うが,64年(正平19∥貞治3)幕府に降伏した。【伊藤 喜良】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石塔頼房
いしどうよりふさ

生没年未詳。南北朝時代の武将。中務大輔(なかつかさのたいふ)、右馬頭(うまのかみ)。義房(よしふさ)の嫡子。南北朝内乱当初から義房とともに活動し、やがて足利直義(あしかがただよし)に近づき1349年(正平4・貞和5)伊勢(いせ)守護となり、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)にはおもに畿内(きない)で足利尊氏(たかうじ)党と戦い、直義から引付頭人(ひきつけとうにん)にあげられた。直義が北陸に走ると伊勢に挙兵、さらに南朝に降(くだ)り、足利直冬(ただふゆ)党とも連携して53年(正平8・文和2)と55年には京都に侵入し、南朝から刑部卿(ぎょうぶきょう)に任ぜられる。61年(正平16・康安1)にも楠木正儀(くすのきまさのり)、細川清氏(きようじ)らと入京し、京都検断となったが、まもなく没落した。[小川 信]

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