デジタル大辞泉
「石川倉次」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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石川 倉次
イシカワ クラジ
明治・大正期の教育家,点字翻訳者
- 生年
- 安政6年1月26日(1859年)
- 没年
- 昭和19(1944)年12月23日
- 出生地
- 静岡県
- 出身地
- 千葉県長生郡長南町
- 学歴〔年〕
- 千葉師範学校小学師範科〔明治12年〕卒
- 経歴
- 明治元年9歳の時、千葉県に移り住む。12年千葉師範卒業後、各地の小学校訓導を経た後、19年小西新八の推薦で東京訓盲啞院雇となり、以後盲啞教育に従事した。21年日本訓盲用点字の翻案を始め、23年に完成、石川が考察した点字が点字選定会に採用された。31年拗音点字を発表、公式に承認される。ついで懐中点字盤を製造した。43年盲啞教育分離で東京聾啞学校専任となる。大正4年3月退官。石川が完成した点字は現在も使用されており、それらの功績で多くの賞賜表彰を受けた。昭和19年戦火を避けて群馬県安中に疎開したが、同年末死去した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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石川倉次 いしかわ-くらじ
1859-1944 明治-昭和時代前期の教育者。
安政6年1月26日生まれ。小学校訓導をへて,明治20年東京盲唖学校助教諭。フランスのブライユ考案の6点点字を日本語の五十音に翻案し,23年点字選定会で採択される。34年官報に日本訓盲点字として掲載され,全国にひろまった。32年高等師範教授。昭和19年12月23日死去。86歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。千葉師範卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の石川倉次の言及
【点字】より
…ブライユの点字は縦3点横2列の6点を単位とし,その配列方法によりアルファベットを表す。日本では1890年(明治23)に東京盲啞学校教諭石川倉次(1859‐1944)がブライユ点字の6点を用いて五十音を表記する日本点字を完成,その方式が現在に至るまでそのまま使用されている(図)。その構成は上部三つの点(1,2,4の点)の組合せを母音アイウエオにあて,この母音点字を基本として,これにその他の点を組み合わせ,たとえばカ行には6の点,サ行には5,6の点を加えて子音点字とする。…
※「石川倉次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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