フランスの点字開発者。6個の凸点で一文字を表した点字の考案者で、「点字の父」とよばれている。
パリ近郊のクーブレ生まれ。3歳のときに起こった事故がきっかけとなり、5歳で全盲になる。1819年、10歳で世界初の盲学校であるパリ国立盲学校に入学し、その後、同校の教師となる。当時のフランスでは、紙の表面にアルファベットの形を線状に浮き立たせた文字が、視覚障害者用の文字として用いられていた。しかし、実際に視覚障害者がその文字を読み書きに利用することはむずかしかった。そこでブライユは、フランス語の音を12の点と線の組合わせで表したソノグラフィーを参考に、6点方式の点字を在学中から研究し、3年余りをかけてアルファベット、数字、句読点を、六つの点の組合わせで書き表す、6点点字を考案した。さらに、点字による楽譜の書き方を開発して、1829年にこれらの6点点字をまとめた書物『点を使ってことば、楽譜、簡単な歌を書く方法』を刊行した。6点点字はその有効性が認められて、徐々に広まったが、ブライユの6点点字をフランス政府が視覚障害者のための文字として公認するのは考案から30年余り後のことで、それはブライユの死後2年を経た1854年のことであった。以降、6点点字は世界中に広まっていく。なお、英語で点字をブライユbrailleとよぶのは、彼の名前に由来している。
ブライユは、6点点字を考案した後も視覚障害者と晴眼者が直接意思を伝達するための文字として、フランス語のアルファベットの形を10点の点線で表した、デカポワンdecapointを開発している。さらに、デカポワンの凸状の点を紙に印字するための装置、ラフィグラフraphigraphも発明した。
クーブレにある生家は、ルイ・ブライユ点字博物館として一般に公開されている。
[編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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