精選版 日本国語大辞典 「日本語」の意味・読み・例文・類語
にほん‐ご【日本語】
にっぽん‐ご【日本語】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
主として日本民族により、日本列島において使用され、発達してきた言語の名。日本人は国語とも称する。その系統・起源としては、北方の言語である「ウラル・アルタイ語族」とする説、南方の言語である「マライ・ポリネシア語族」とする説、その両者が重なり合ったとする説、英語、ペルシア語、インドの言語などを起源とする説など多数あるが、いずれも学界全体の合意を得たものはない。周辺の言語の古代語の資料が乏しいから、この面の研究の進展は非常に困難であろう。
[築島 裕]
本州・四国・九州・北海道・沖縄およびその属島、すなわち日本国の領土全般に広く行われており、しかも他の言語と競合併存することがない。ただし、明治末期から第二次世界大戦の終わりまでは、台湾・樺太(からふと)(サハリン)・朝鮮半島にも、住民全体に日本語教育が行われた時期があった。海外に移住した日本人の間でも行われるが、三世以下に伝えられることは少ないとみられる。また、外国人に対する日本語の教育・普及は貧弱である。1998年(平成10)現在、日本語を話す人口は約1億2500万人で、英語、中国語、ロシア語、スペイン語と並んで世界の大言語の一つに数えられるが、国際性はかならずしも豊かでなく、今後の対策が要請される。
[築島 裕]
日本語には、権威ある公的機関としてその規準を示すものはないが、現代の口語については、国語審議会(文化庁所管)の審議・答申があり、それに基づいて公布される内閣訓令・告示があって、公用文の表記はだいたい統一された内容を備えている。それは、人名の命名についての法律にも関係している。一方、小・中・高校の教科書は文部省(現文部科学省)の検定を経ているが、それも同じ規制によっている。新聞・雑誌などもこれを規準とするものが多く、現代の日本語の表記形態は、だいたい統一の状態を保っているといえる。また、話しことば(口頭言語)は、ラジオ・テレビの普及によって、東京の中産階級のことばを基にした共通語(標準語)が全国に広まっている。全国各地に方言が分立しているが、本土方言と琉球(りゅうきゅう)方言とに二大別され、さらに本土方言は東日本方言、西日本方言、九州方言の三つに分かれる。それぞれの間に音韻(アクセントも含む)対応の法則があり、文法についても法則的対応が顕著である。語彙(ごい)は、地域による個別的差異が多くみられるが、それらのなかで、古代、中世、近世において中央で行われていたのに、現在では用いられなくなってしまったものが、地方に残存している例が少なくない。この種の現象は、語彙ばかりでなく、音韻や文法についてもしばしばみられる。
日本語の方言の歴史は、資料が乏しくて、あまりはっきりしたことはわかっていない。ただ、8世紀には、東国(だいたい、現在の静岡県以東辺)には、当時の都のあった大和(やまと)(奈良県)地方とは異なった東国の方言があって、音韻、文法、語彙などのうえで、大きな相違があったらしい。その後、16世紀の末ごろには、東国方言や九州方言が中央(京都)のことばと対立していたことが知られるが、その間の数百年間のことは、ほとんど不明である。江戸時代には封建制度が発達して、各地に領主が封ぜられ、しかも中央(江戸)との間に参勤交代その他の交流があったために、諸国の方言が比較観察される機会が多くなった。当時すでに現代のような諸方言が存在したことが推定される。方言は話者の郷土意識や地域社会の構造と関連が深く、方言コンプレックスの問題などもあるが、今後、共通語の普及や、他方では地域社会の独自性の振興など、種々の要素が絡んで、対処すべき問題が少なくないことと思われる。
[築島 裕]
日本語は、他の言語との間の相互関係において歴史的にみてあまり深刻な事態を経験しなかった。日本列島は、地理的に大陸から孤立していたために、政治的に侵略されたことがまれであり、それに伴って、日本語が強制的に禁止されたり、圧迫されたりしたこともなかった。したがって、有史以来の日本語は、主としてそれ自体のなかでの変化を遂げたのであり、他国語から受けた影響も部分的に語彙(ごい)の面などに限定されており、音韻については若干の影響もみられるが、文法などの面では、古代語の特徴が亡失せずに現在まで残存している面が多い。
一方、日本文化全体として、古代においては中国に、近代においては欧米諸国に範を仰ぎ、それから多方面にわたって文化的事象の輸入摂取に努めた。このことと呼応して、言語の面でも、古くは中国語から、近くは英語その他のヨーロッパ諸言語から、多数の語彙を借り入れ、また音韻の面でも、若干それら外国語からの影響を被った点がみられるが、文法に至ってはあまり顕著な影響はみられない。北方においては、古くからアイヌ民族との接触があって、コンブ(昆布)、ラッコ(猟虎)などのアイヌ語が日本語に入ったものがあるが、逆に日本語からアイヌ語に入ったものも多いといわれ、相互の系統的関係については、いまだ十分に解明されていない。また、朝鮮半島の言語とは、古代以来の接触があったと考えられ、同じ系統とする説も従前は多く唱えられた。確かに文法構造や音韻体系のうえで認められる共通点も少なくないが、語彙の対応例などがあまりにも貧弱であり、現在では同系を証するには不十分とする説が有力である。
これらに比べ、中国語からの影響は、おそらくもっとも大きいものであろう。それは、千数百年の長い間、日本は中国を文化の源泉と仰いできたことによる。古く8世紀ごろから、すでに相当に多くの中国語の単語(漢語)が借用されていたらしいが、10世紀ごろには、仏教関係の用語や、輸入された調度品の類(たぐい)をはじめ、「けさう(懸想)」「げ(宜)に」「ぐす(具す)」など、抽象的概念を表す名詞や、副詞・動詞にまで及んでいたらしい。漢文を訓読するときや、漢詩文を作文するときなどには、さらに多数の漢語が使用されたが、中世以降、漢文の勢力が口語のうえにも文章のうえにも強くなるに伴い、漢語の比重はいよいよ増大していった。さらに、中国から新たに禅宗が輸入されるに伴い、新しい時代の発音による漢語(唐音語)が流入した。中世末期のキリシタンおよび江戸中期以降の洋学の発展の際にも、ポルトガル語、オランダ語その他の西洋諸語が取り入れられたが、原語のままの形で入ったほか、漢語の形に翻訳されたものも多く、ことに明治以後にはその傾向が顕著であった。
第二次世界大戦後は、アメリカの文化の影響によって、英語を主とした借入が著しいが、この際には原語のままの形で、名詞はもとより、「スタートする」「デリケートな」など、動詞・形容動詞の類にまで及んでいる点に特徴がある。しかし、外来語は体言的に扱われるのが原則で、それは古代の漢語借用以来の日本語の文法的性格を崩さずに維持しているとみることができよう。
[築島 裕]
言語位相の多様さは、日本語の特徴の一つであろう。現代では書記語と会話語との差は小さいが、それでも語彙(ごい)・文法の点で若干の隔たりがある。しばらく以前までは、正式の書記語は、会話語から甚だしく異なった用語が用いられ、文語体とよばれたが、それは西暦10世紀ごろの日本語を基にして構成され、その後伝統的に1000年ほど用いられた言語である。この文語体に対して、口語体とよばれるものは、現代語に基づくものであり、それぞれ文語文法・口語文法という別個の体系を備えている。文語のなかにも、さらに和文体、漢文訓読文体、和漢混交文体、書簡文体などの別があり、使用される場面によって使い分けられてきた。また、おもに学者・僧侶(そうりょ)などによって、漢文・漢詩が使用された。これは、本来、外国語としての文章であったが、学問的著作や教養の表現として、古くからそれらの階級でしばしば行われていた。一方、口語体のなかでも、会話と文章とでは相当程度の違いがあり、会話語では、話し手と聞き手との関係によって、敬語を使う場合と使わない場合とのどちらかが選択される。文章語のなかでも、常体(デアル体)と敬体(デス体)との区別があるが、これは読み手に対する関係ではなく、論説・文芸作品など、文章のジャンルによって使い分けられるもので、一般には常体が用いられる。
階級・職業による相違についてみると、古代から近代にかけては、各時代ごとに種々の階級語・職業語などがあったようで、中古・中世には、伊勢(いせ)神宮などの祭祀(さいし)に関係する人々の間に用いられた特殊な用語や、宮廷の女官を中心に使われた特別のことばなどがあった。ことに近世になると、封建的社会制度の確立によって、武士・農民・工人・商人の社会的差別が強く行われ、それに伴って、武士階級の言語と農民などの言語との間に、際だった差異が生じたと思われる。このほか、遊里には、そこだけの独特の言語が行われたという。明治時代以後には、そのような階級的差別はいちおう撤廃されたものの、なお、官吏・軍人などと商人・職人などとの間には、若干の差異が存した。それも、第二次世界大戦以後には、社会の変革に伴って急速に減少し、社会・職業による言語の差異は、しだいに小さくなって、全体として均一化の方向に進んでいるとみることができよう。
[築島 裕]
日本語の標準的な音韻の体系は、だいたい次のように整理される。
発話(文)は、その息の切れ目によって文節に分析され、文節はさらに音節に分けられ、音節はさらに単音に分けられる。単音には子音と母音とがあるが、子音のうち、j(y)とwとは母音に近い性質も備えていて、半母音ともよばれる。日本語では、音節という単位が重要で、古来これが強く意識され、平仮名も片仮名も、これを単位として製作された。
に片仮名とローマ字(音韻の記号)とで日本語の音節を示す。このなかには、漢字音だけにしか使われないもの、外来語だけにしか使われないもの、ミャのようにクを伴って「ミャク」という形でだけしか使われないもの、その他使用の範囲が限られているものなどがある。開音節(母音で終わる音節)が中心をなす性格は、日本語の諸方言にわたって存在するが、この性格は有史以来大きな変化を遂げていない。例外として、はねる音(撥音(はつおん)、ン)やつまる音(促音、ッ)(音韻論では、それぞれ/N/,/ʔ/などと表記される)があるが、いずれも9世紀以降に新しく発生したものであり、これらは拗音(ようおん)(キャ・シュ・チョなど)とともに中国語音の影響と説かれている。
8世紀までの日本語では、母音の種類が現在よりも3種多い8種が区別されていたと一般に考えられており(近時は理論上それを否定する見解もある)、古くキ・ケ・コ・ソ・ト・ノ・ヒ・ヘ・ミ・メ・モ・ヨ・ロの13の仮名について、語によってそれぞれ2種の使い分けがなされていた。8世紀後半からその区別がなくなり始め、9世紀のなかばごろにはいまと同じようになったとみられる。また古くはア行のエeとヤ行のエje(ye)との区別もあったが、10世紀なかばごろからjeに統一された。また、ハ行音は古くpa、pi、pu、pe、poであったという説があるが、これは琉球(りゅうきゅう)方言の一部に残っている発音その他によって推定したもので、確実ではない。8世紀ごろにはΦ(F)の子音になっていたかといわれる。そのΦも、10世紀末ごろから語中・語尾ではwに変化して、Φはわずかに語頭だけに残ったが、さらに17世紀以後には、Φu以外はhに変わった。サ行音の子音については不明な点が多いが、サはtsa、ソはtsoであったかといわれている。タ行音は古くはta、ti、tu、te、toであったとされる。その他の音節の音価は、古くから現代と同じか、または同類のものであったらしい。16世紀の末ごろには、pがあって促音の次におこることがあった。
中世末以降、ヨーロッパ諸言語からの借用語が生じ、それらのなかで使われる音として、ミュ・スィ・シェ・ティ・ファ・フィ・フェ・ヴァ・ヴェなどの音節が生じたが、ティ・ファなどは、古く国語にあった音で、それがのちにti>tʃi、Φa>haのように転じたあとの空隙(くうげき)を埋めたものである。子音には、k,g,s,ʃ,z,ʒ,t,tʃ,ts,d,dz,dʒ,n,h,ç,Φ,b,p,m,j,r,wなどがあり、このうちj,wは半母音ともよばれている。母音にはa,i,u,e,oの5種が標準的だが、uの音声など、東京方言ではɯ、関西方言ではuなどの区別があり、またiとuとの区別をしない場合をもつ方言、琉球方言のようにa,i,uの3種だけの方言など、若干の揺れがある。しかし、開音節が中心をなす点はだいたい諸方言を通じていえることである。
アクセントは、音節単位の相対的な高低を備えた、いわゆる高低アクセントであり、関西式、関東式、一型の3種に大別され、諸方言の間にいわゆる「型の対応の法則」がみいだされる。この法則は、現代語のなかばかりでなく、同じ京都方言のなかでも、現代、近世初期、平安時代末期という、歴史的な面でも存在することが証明されている。なお、日本語のアクセントの歴史は、平安時代末期(12世紀ごろ)の状態が体系的に知られているが、それ以前のことは断片的にしか判明しない。そして、中世以後の変化の状態も、かならずしも明確でないが、近世初期の体系を得る資料が知られている。しかし、これらはいずれも京都方言の体系であって、現代の諸方言に存する三大別が、歴史的にどのような相互関係にあったのかについては、諸論があるが、いまだ定説を得るに至っていない。
[築島 裕]
現代の日本語に使用される文字には、漢字と平仮名と片仮名との3種があるが、このうち主として使われるのは漢字と平仮名とであって、片仮名は補助的な役割を果たしている。このほか、ローマ字、ギリシア文字などが使われることもあるが、特殊な場合に限られる。前記のような使用状態は第二次世界大戦以降のことで、それ以前は、憲法・法令など公用の文書は漢字と片仮名との混用で書かれることが多かった。江戸時代までは、漢字だけの文章がもっと多く行われていた。もともと日本には、本来の文字はなかったのであり、神代(じんだい)文字などと称して、古代の日本から独特の文字があったという説は、後世の人々の捏造(ねつぞう)である。
日本人は、大陸からの漢字の伝来によって初めて文字を知ったと考えられる。その時期は明らかでないが、すでに5世紀の初めごろには、日本において漢字を使って文章をつくり、またそれを使って日本語を表音的に書き記したりしていた。平仮名・片仮名は、漢字の表音的な用法(万葉仮名)に基づいて、その字体を簡略化したり、または字画の一部分を省略したりして創案した文字で、日本の宮廷の書記や寺院の学僧などによって、9世紀初頭以来使用された。平仮名は10世紀の末ごろにはひととおり完成して、その後は書道という美術的な要素も加味されて複雑化したが、片仮名のほうはまったく実用性だけで発達し、12世紀ごろまでにだいたい完成した。平仮名は最初から独立して、または漢字と併用して使われたが、片仮名は最初は主として漢文の訓点の記入のために、その補助的な符号として使われた。他方、漢字と併用されることも早くからおこり、やがてその用法が盛んになるとともに、片仮名だけが独立して使われることも生じた。だいたいにおいて、平仮名は文学作品や女性や幼童用に、片仮名は漢文を中心とした学者・僧侶など男性の世界で使われることが多かった。
仮名の字母表としては「いろは歌」が行われた。主として平仮名で記されたもので、「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」の47文字である(このほか、末尾に「ん」や「京」を加えることもある)。諸行無常を述べた仏教の経典の字句に基づいたものといわれ、弘法(こうぼう)大師空海(774―835)の作と信じられて、広く行われた。ただし、この歌の成立年代はたぶん10世紀中ごろ以後であって、空海の作であるとは信じられない。歴史的仮名遣いも、この歌にみられる字母を基にして定められ、以前は辞書の語順その他に広く用いられたが、「現代かなづかい」のなかで「ゐ」「ゑ」の2字がなくなったため、現在ではこれを知らない人も多くなった。一方、五十音図(アイウエオ)は、本来音韻学の世界で考案された図表であるが、のちには字母表のようにも考えられるようになり、1920年代以降は、辞書の語順はもとより、順序や列挙の表示などにも広く用いられている。吉備真備(きびのまきび)(693―775)の作というのは妄説で、10世紀末ごろの仏教の僧の作とみるのが穏当であろう。
ローマ字は中世末にヨーロッパから渡来し、一時はその活版印刷による出版なども行われたが、キリスト教禁圧のために滅びた。しかし、その後、オランダその他の西洋諸国との交渉に伴って、近世の中ごろ以後、蘭学(らんがく)などの洋学がおこり、そのなかでローマ字も使われたが、一部学者の間だけであった。明治以後は、欧米との交流が盛んになって、外国語学習なども普及し、漢字や仮名のかわりにローマ字で日本語を表記することを企図する運動も起こった。明治初期以来、漢字を廃止して平仮名または片仮名だけで国語を表記しようとする運動「カナモジカイ」などがあり、それらと一連の国字改革運動は、それ以後も継続的に続けられている。1946年(昭和21)に公布された「当用漢字」は、漢字を1850字に制限するもので、この改革運動の第一歩ともみられたが、その後各方面からの反発が大きく、1981年には逆に「常用漢字」として1945字に増加し、その規制の方針も大いに緩和された。2010年(平成22)の改定で196字の追加と5字の削除があり、常用漢字は2136字となった。第二次世界大戦後の改革は、当時のアメリカ軍の占領政策の強制もあったといわれるが、日本語の語彙(ごい)の体系や文体などと深く関係するこの問題を、画一的・表面的に処理したという難点もあったものの、この漢字制限によって日本語の表現が平易化・簡略化されたことは確かであろう。一方、前の時代の文化的遺産の継承が不円滑になったり、微妙な表現上の豊富さが減殺されたりしたマイナス面も否定できない。
上述のように、漢字は、長い年月の間、日本語表記の中心をなしてきた。そのなかで、中国には存在しなかったような、日本独特の用法も多方面にわたって発達した。まず、漢字のよみ方については、本来の漢字の字音に基づいて、日本漢字音(「音」「字音」)が定着したが、それも古く伝来した「呉音」「漢音」や、のちに伝わった「唐音」など、いくつかの種類があり、新しい形が伝わったのちも、古い形が滅びないで、それぞれ別個の体系を備えてあわせ行われた。さらに、漢字の意味を日本語に翻訳し、その日本語を、漢字のよみ方の一つとして社会的な慣用として固定させ、進んで、それらの漢字によって日本語を表記するという方式を考え出した。このよみ方を「訓」「和訓」とよぶ。そして、「音」と「訓」とが両立し、同じ文のなかでも使い分けられるという方式が確立していったが、「訓」のなかにも、古代日本語の形が後世まで変わらずに伝えられるものが少なくなかった。このように、外国語音と日本語といった二つの異なった要素を併存させ、しかも長い時代にわたって衰滅することなく継承されて現代に至ったことは、他の中国周辺で漢字を受け入れた諸言語のなかには例をみないことで、日本語の包容性を示す一つの現象とみることができよう。さらにまた、漢字の形に似せて新しく日本で製作した文字(国字)もあった。「榊(さかき)」「峠(とうげ)」などがそれであって、二つ以上の漢字を組み合わせて、各字のもつ意味を合成させて日本語の概念を表現しようとしたものである。この種の文字は、それらだけで文字の体系を構成したのではなく、従来から存した漢字の補完的機能のみをもつものであって、仮名で表記しようとすればそれも可能であるにもかかわらず、仮名でなく故意に漢字を使用した点に、漢字を本格的な文字として重視した、古代の日本人の意識をうかがうことができる。
[築島 裕]
世界の諸言語の大分類のなかで、日本語は膠着(こうちゃく)語agglutinative languageの部類に属するとされるが、これは、実質的な意味をもって独立して使用される単語(名詞・動詞など)の下に、形式的意味だけで、独立しては使用されない単語(助詞・助動詞)などが連接していって、それによって、主語・述語・修飾語などの、文法的な働きを果たすものをさす。この点では、アルタイ諸言語、フィン・ウゴル語などと同類とされる。
前述のように、日本語の単語は、文法的にみて大きく二つに分けられる。一つは実質的な意味をもち、それだけで使用される単語で、自立語・詞(し)・観念語などといい、一つは形式的な意味だけで、それだけでは使用されず、かならず自立語の下について、独立しては使われない単語で、付属語・辞(じ)などという。
また、語によっては、文中での働き、または次にくる語の種類によって形を変えることがある。これを活用と称する。活用は、自立語の動詞・形容詞などと、付属語の助動詞とにみられる。ヨーロッパ諸言語では、単数・複数などの「数」、主格・所有格・目的格・補格などの「格」、男性・女性などの「性」、現在・過去・未来などの「時」、原級・比較級・最上級などのように内容が表す「程度」などによって語の形が変化するものがあるが、日本語には、この種の語形変化はなく、助詞・助動詞・接尾語を下につけたり、上に副詞を加えたりして表現する。また、ヨーロッパ諸言語では、動詞を文の最初にたてて、疑問や命令を表すことがあるが、日本語では、助詞を加えたり、活用で語形を変化させたりして表すのが原則である。
否定表現には、打ち消しを表す助動詞や助詞(「ない」「な」など)を用いるのが原則であり、副詞によって否定を表す中国語(「不」「非」など)や西欧語(no, never, nor, nichtなど)と大きく異なっている(古代日本語の「な行きそ」などの「な」は副詞とも考えられ、例外的であるが、これについては異説もある)。ただ、形容詞「ない」が含まれる語(「あじけなさ」「こころもとない」など)は、否定を表すこともあり、また漢語の「無能」「不備」「非力」などの「無」「不」「非」や、西欧語の「ノースモーキング」「ノンストップ」などの「ノー」「ノン」のような外来語が語構成要素として使用される。これらは自立語のなかで否定的な意味になったものである。陳述副詞といわれる一群の語がある。「けっして……ない」「たぶん……だろう」などの「けっして」「たぶん」のように、下にかならず打ち消しまたは推量などの語を伴うもので、外国語ではneverのように1語で表されるものも、日本語では副詞と助動詞に分けて2語で表されるものが多い。この種の語は、古代から現代に至るまで一貫して日本語のなかに存在しているが、漢文の訓読の影響によって生じたものが多いのかもしれない。
自立語は、活用のないものとあるものとによって、体言と用言との別がたてられる。このほか、副詞の類(たぐい)も、活用がなく、前者に包摂されることもあるが、多くは別の品詞としてたてられる。
名詞は、語形変化をもたず、この点では代名詞と同様であるが、代名詞には話し手と聞き手との関係によって語形が選択されるという特質があり、このことは名詞との大きな相違点である。日本語の代名詞は、第一人称(自称)、第二人称(対称)、第三人称(他称)に三大別され、さらに第三人称については、話し手中心の近称、聞き手中心の中称、第三者中心の遠称、不特定の不定称などに分けられ、第三人称については、事物、場所などによりコレ・ソレ・アレ・ドレ、ココ・ソコ・アソコ・ドコなどの語彙(ごい)体系が備わっている。また、人称については、話し手と聞き手との相対関係その他によって、たとえば第一人称については、ワタクシ・ワタシ・ボク・オレなど、多種の語が場合によって使い分けられる。これは他言語にはまれな、日本語の特殊性の一つとみることができる。
副詞の類も語形変化がなく、この点、名詞と相通ずる点がある。広義の副詞は、他語を修飾する機能のみを有する語を広く包含するので、接続詞や感動詞まで副詞の一部とする説もあり、多くの場合は、もっぱら用言を修飾するが、語によっては体言を修飾する機能を併有するもの(「やや」「すこし」など)もある。一方、体言修飾のみの機能をもつ一類があって(「あらゆる」「あ(或)る」など)連体詞・副体詞などとよばれる。また、その形だけで他の体言を修飾しながらも、体言としての機能をも備えている語(「ひとり」「きのう」など)もあり、これらは時数詞などと一括されることもある。数を表す語はこの一類のなかに含まれるが、西欧語などにおける数詞と比べると、語形変化をもたないこと、序列を表すための特定の形をもたず、「第一」「二番目」などの「第」「番目」のような接頭語・接尾語などによって表すことなどが特徴である。総じて、体言のうち、名詞の類と副詞の類とは、その境界が不明確で、その意味内容が実体的であるか属性的であるかによって、区別されるにすぎない。この点からみると、いわゆる形容動詞とよばれる一類の語も、その語幹の部分は、意味内容が属性的で、修飾性が強く、「静かだ」のように、指定辞「だ」を伴って用いられることが多いので、「だ」とともに1語と認定されたうえでの品詞であるが、意味内容の範疇(はんちゅう)のうえからは形容詞に近いもので、形容詞が語幹に「い」「く」などの語尾を伴うのと類似した性格をもつ。ただし、形容詞の語幹よりも形容動詞の語幹のほうが独立性がはるかに強い。
用言のなかでも、形容詞は、前述のように語幹に独立性があり、それに諸種の語尾が添ったもので、活用という語形変化はあるが、西欧語のような、程度(比較級・最上級)や、性・数による語形の相違などは存せず、もっぱら文中における他の語との連続関係と、命令・指定など叙述の方式の相違に基づく語形の変化があるのみであって、この点は動詞と近似する。一方、動詞は、活用の性質としては形容詞とも相似するが、語幹の独立性がほとんどないことは、形容詞と大きく異なる点であり、時・格・数・性などによる語形変化をもたないことは、西欧語の動詞と本質的に相違する点である。日本語の動詞の活用の基本的な形式は、語尾の母音が交替する型と、語末にル・レなどの音節が添加する型と、その両者が混在する型との3種がたてられ、五段活用・下一段活用等に区分されるが、この分類はまったく活用の方式の型による形式上のものにすぎず、意味内容等とは関係がない。動詞は主として動作を表し、形容詞は状態を表すとされるが、動詞のなかにも「ある」「いる」のように状態的なものもあり、両者の意味的区別はかならずしも明確でない。
冠詞・関係代名詞の存在しないことも、日本語の特徴の一つに数えられる。冠詞のかわりには「その」「あ(或)る」などの連体詞の類が用いられるが、まったく使用されない場合も多い。関係代名詞のかわりには、準体助詞「の」が使われることもあるが、多くは、長い連体修飾語によって表される。しかし、むしろ一度文を終結し、改めてその名詞を主語とした別の文として下に続けるほうが、日本語としては自然な形のようである。
日本語の古い形においては、接続詞・連体詞の類はほとんど存在せず、あとになってから、他品詞からの転成、または2語以上の複合によって生じたものらしく、その契機の一つとしては、漢文の訓読による論理的表現法など、新しい方式の要求があったかと思われる。助詞の類も、もと感動詞的なものからの変化や、体言・動詞などから転じたものなどが多く、本来の助詞はごく少数であったかとみられる。有史以後においても、たとえば、8世紀(奈良時代)の記紀万葉の歌謡には、接続詞がほとんどみえないこと、接続法においても接続助詞「ば」「ども」等を用いない方式があることが注意される。その当時から、先に述べたような諸品詞の性格はだいたい具備しており、その後今日に至るまで1200年の間に、さほど大きな本質的変革はみられない。ただ、活用の形式には若干の変転があって、動詞の場合には、古く平安時代には9種類だったものが、現代では5種類に減じ、形容詞は2種類だったものが1種類になった。また、助詞・助動詞・接続詞などは、古代語と現代語との間に語彙の交替が激しく、語形は変わらなくても活用や用法のうえで著しい差がみられる。そのなかでも、ことに注意されるのは、助動詞の回想・完了、および推量を表現する語が、古くは多数存したのに、現代語では非常に少数に減じたこと(「き・けり・つ・ぬ・たり・り」が「た」1語に統合され、「む」「らむ」「けむ」などが、「だろう」「ただろう」など、2語以上の複合形で表されるようになった)などの事実である。助詞の用法に関しては、古く「係り結びの法則」なるものが存し、文中に「ぞ」「なむ」「や」「か」の助詞がある場合には、文末を終止形でなく連体形で結び、「こそ」がある場合には已然形(いぜんけい)で結ぶという構文法があった。これは13世紀以後衰退して、現代ではほとんど消滅してしまったが、このような変則的な終止を伴う構文が忌避されたことは、前述の動詞の活用の型や助動詞の減少などと並んで、日本語の文法の画一化的方向への変容の傾向として統括できることかもしれない。
品詞の転成は古くから存したが、品詞の体系そのものはほとんど変化がなく、同一の語が品詞を転ずることもまれであった。形容動詞のスルド(尖)ナリが形容詞スルドイに転じたりするのは、例外的な事象である。また、助詞・助動詞はおよそすべて和語ばかりであって、漢語とみられるのは文語の「やうなり」、口語の「ようだ」「そうだ」くらいである(もっとも、この2語については漢語でなく和語とする見解もある)。これは、日本語の文法的枠組みが相当に強固であって、外来の言語に接触しても、容易に改変を被らなかったという一証となるであろう。
[築島 裕]
現代の日本語には、前述のように、本来の和語のほか、漢語(字音語)、外来語が多数使用されており、その語の種類としては、自立語についていえば、和語はその半数に及ばないと考えられるが、日常一般に使用される語のなかには、たとえば基礎語彙(ごい)などでは、和語が圧倒的多数を占めている。和語の自立語は、有史以来語形に変化を遂げたものも多いが、その多くは普遍的音韻変化によるものであり、たとえば、ハナ(花)がΦ(F)anaからhanaへ、ユエ(故)がj(y)uweからjujeを経てjueへなどのようなものである。個別的な変化としては、ハ(端)がハシ、ヲ(尾)がシッポ(尻尾)など、一音節などの短い語形が長くなったものなどが多く、このようにもともと一音節語・二音節語が多かったのが、のちに長語形化したものが多いと思われる。さらに、古く和語には濁音で始まる語がなかったのに、のちにはイ(ウ)ダク(抱)からダク、イ(ウ)バラ(茨)からバラ(薔薇)などのように、濁音が語の始めにたつ語が現れるようになった。これは、漢語の流入の影響によるものかもしれない。
和語と漢語、あるいは和語と外来語との複合語も多く作成された。しかし、これらの多くは、名詞または形容動詞の語幹など、体言的なものとして取り入れられ、ときに形容詞の語幹になったもの(古く「しふね(執念)し」、1970年代以降の「ナウい」など)もあるが、いずれも広い意味での体言的なものに含まれる。動詞になった外来語もまれであって、古くは「れうる(料理)」、現代には「ダブる」などの例があるが、接尾語として動詞活用をする「る」を伴ったもので、やはり語幹は体言的な性格を含むものである。副詞・助動詞・助詞などになったものはみられず、語彙借入の文法的な枠は固いとみることができる。
[築島 裕]
1950年代から日本でもコンピュータが急速に普及した。当初のコンピュータではハードやソフトの制約から漢字や平仮名を扱うことができず、コンピュータ用の文字コード(情報交換用の符号)としては、片仮名用のコードがあるだけであった。70年代には徐々に漢字も扱えるようにはなったが、メーカーごとに異なった規格であり、自由なデータ交換ができなかった。しかし、78年(昭和53)にJIS(ジス)(日本工業規格)の漢字用の文字コード(情報交換用漢字符号系)としてJIS漢字コード(JIS C 6226-1978)が初めて決定され、第一水準2965字、第二水準3390字の漢字や平仮名が自由に使用できるようになった。同時に漢字に対応したディスプレーやプリンターも一般化することにより、大型コンピュータの世界で日本語処理が本格化した。また同年には最初の日本語ワープロ専用機も発売されたことで「仮名漢字変換」の技術が徐々に一般化して、日本語入力が容易になった。2000年(平成12)を過ぎた時点でも日本語入力を行うための基本的な方法はこの仮名漢字変換技術である。1980年代なかばになるとパソコンの能力が向上し、自由に日本語処理が行えるようになってきた。その間、JIS漢字コードとしては、83年に字体の一部の改正(JIS C 6226-1983。いわゆるJIS83)が行われたが、プリンター印字などにおいて旧規格(いわゆるJIS78)との間に非互換性が生じて混乱を招いた。90年には補助漢字(JIS X 0212-1990)が、2000年には第三・第四水準漢字(JIS X 0213-2000)が追加されたが、ハードやソフトの制約から2000年の段階では一般には用いられていない。
以上のような過程を経てコンピュータで自由に日本語を扱えるようになったことにより、1990年代ごろから日本語にかかわるいろいろな社会現象のうえで大きな変化が生じてきている。高速な日本語データ検索、コンピュータによる翻訳、音声認識や合成、手書き文字認識などが研究され、かなりの程度実用化された。またコンピュータによる組版・印刷が容易に低コストでできるようになったため、旧来の活字印刷技術がほぼ使われなくなるなど、日本語の印刷物には大きな変革が生じ、またCD-ROMなどまったく新しいメディアによる刊行物も増えた。インターネット上にハイパーテキストを展開する技術であるWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)が一般にも広まり、日本語によるいわゆるホームページがネット上に大量に展開するようになったのも、90年代以降の日本語のきわめて大きな変化である。今後、各種の出版活動や教育など、日本語による言語生活のかなりの部分がますますインターネットの上で行われるようになることが予測され、そのような社会における日本語のあり方の研究が今後必要となってくると考えられている。
[近藤泰弘]
東京を中心として諸文化現象が集中する傾向は、今後ますますその度を加え、教育の高度化、新聞・ラジオ・テレビなどのマスコミ、インターネットなどの情報・通信技術それに交通機関の発達などが、それを推進することであろう。それに伴い、共通語の勢力は年とともに増大し、方言の比重はいっそう減少していくと思われる。ただし、それは言語生活の一面であって、他面では、生活語ともみられる方言の力強さも失われることはないであろう。共通語化にあたっては、語彙(ごい)や文法の諸現象が第一に実現するが、音韻、とくにアクセントについては、方言的性格は根強く保持されるであろう。さらにまた、欧米文化へのあこがれとその輸入は、今後もより推進され、それに伴って外来語の流入は今後いよいよ盛行すると思われる。新しい事象の名称などはいうに及ばず、従来からの名詞や動詞、形容詞などまでも、英語その他の言語にとって代わられてしまうものが多くなっていくであろう。
外来語の音韻については、スィ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォなどの音節は、日本語の音韻体系のなかに、いよいよ強固な地位を得るであろう。しかし、文法面では、外来語による変容はほとんど生じないと推測される。ただ、主語を明瞭(めいりょう)に提示したり、条件法が明確に表現されたりする論理的な方式は、外国文化との接触によって今後強化される傾向に進むであろう。他方、日常的場面では、語尾や文末の簡略化、非論理的な単語の羅列による一種の情緒的表現などもしだいに勢力を得てくるようにもみえるが、永続性は乏しく、一時的な現象として多くは消滅するものと思われる。
表記面では、漢字と平仮名とによる口語文の文体がしだいに定着し、漢字削減その他の表記上の変革はあまり行われないであろうが、一般の表記表現の能力は、かならずしも上昇していくとは思われず、コンピュータの普及が、むしろ表現の豊かさを損ない、読解能力を低下させる現象を生みつつあることは否定できない。JIS漢字の制定とそのコンピュータへの導入は、常用漢字の存在意義を著しく希薄にしたことも大きな問題である。
一般に、表現の平易化と並んで画一化が進行し、情緒性の貧困化、敬語の退化などをもたらし、老年層と若年層との間の言語感覚の食い違いによる軋轢(あつれき)は、今後とも増大することと思われる。国語の平板化、表現の貧困化、論理性の弱化などは、けっして望ましい方向ではなく、学校国語教育における方針の確立、マスコミ関係者の反省と自覚などを軸として、一般人の国語への意識の振興を期待すべきであろう。
[築島 裕]
『『国語学概論』(『橋本進吉博士著作集 第1冊』1946・岩波書店)』▽『金田一春彦著『日本語』(岩波新書)』▽『池上禎造・金田一春彦「日本語」(『国語学大辞典』所収・1980・東京堂出版)』▽『金田一春彦・林大・柴田武編『日本語百科大事典』(1988・大修館書店)』▽『芝野耕司編著『JIS漢字字典』(1997・日本規格協会)』▽『長尾真・黒橋禎夫・佐藤理史・池原悟・中野洋著『岩波講座 言語の科学9 言語情報処理』(1998・岩波書店)』
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ウラル・アルタイ語系に属するとされ,日本列島でほぼ千数百年以上使われてきた言語。使用者数では世界で第10位以内といわれるが,使用範囲は日本列島の中に限られる。祖語を共通にする言語は見いだされず,系統的には孤立する。膠着語(こうちゃくご)である点は朝鮮,モンゴル,トルコ,南方諸地域の言語と共通する。音節が開音節で,原則的に子音1に母音1が結合する単純な構造をもつ。語は自立語(話し手の判断にかかわらず存在する内容を表す語),付属語(話し手の判断内容を表す語)からなり,両者をくみあわせることで,なにがおこったかを絶対に必要な内容とし,必要に応じて,なにがそれをもたらしたかを加え,それを中心にしてさらに語を適宜補う形で表現がなりたつ。歴史的に他の言語との接触が少なく,事態を話し手の立場からとらえる特徴がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…日本の〈国字〉(中国には元来存在しない日本製漢字)の字音も,この字音体系に反しない形をとる(働(ドウ),鱇(カウ)等)。
[日本漢字音]
日本語での漢字の〈読み〉には,漢字音である〈音〉以外に〈訓(クン)〉がある。例えば〈東〉の音はトウ,訓はひがし。…
…つまり他動詞の場合には意味上の〈仕手〉と形態上の主格とが合致しない((1)(4)の基準が合致しない)わけで,いずれを主語と見るかが問題となるのである。
[日本語の主語]
日本語の場合も,主語はその認定からして問題になる。冒頭に見たように〈何が(は)〉に当たるものと述べるだけでは実は不十分で,これに増減を行う必要があるのだが,たとえば,(A)〈太郎も来た〉〈子どもしかいない〉〈君の読んだ本〉〈僕行くよ〉などのゴシックで示される部分の類は,〈が〉〈は〉を伴わないが主語と見る,(B)〈手紙はもう書いた〉〈少しはできる〉のゴシック部分の類は主語と認めない,などの点ではまず一致を見ているものの,(e)〈水が飲みたい〉や(D)〈僕はうなぎだ〉(料理を注文する場面で)などのゴシック部分の類をどう見るか,(E)〈象は鼻が長い〉〈魚は鯛がいい〉のような文をどう分析するか,などについては研究者の間でも論議がある(なお(e)の類については,学校文法では一般に主語と扱ってきた)。…
…広く(地方出身者をも含めて)東京で使われている言葉全体をさすこともあり,共通語の基盤としての山手言葉だけをさすこともある。 一定の地域の人が幼い時から身につけ,日常生活に使うという点では,東京語は他の地方の言葉と同じく,日本語の方言の一つである。この意味では〈東京方言〉〈東京弁〉ともいわれる。…
…。◎―自然については〈日本列島〉,住民については〈日本人〉をはじめ〈アイヌ〉〈在日朝鮮人〉など,言語については〈日本語〉をはじめ,〈琉球語〉〈アイヌ語〉〈方言〉など。◎―歴史については,とくに〈古代社会〉〈中世社会〉〈近世社会〉〈近代社会〉の大項目をはじめ,〈先縄文時代〉〈縄文文化〉〈弥生文化〉〈古墳文化〉に続き,〈飛鳥時代〉から〈昭和時代〉に至る各時代を概説した項目。…
…ここで言う〈日本語教育〉というのは,〈外国人に対する日本語の教育〉の意である。日本人に対する日本語の教育を〈国語教育〉と呼ぶのに対比させた使い方で,〈外国語としての日本語の教育〉〈第二言語教育としての日本語教育〉という言い方もある。…
… 日本の文学というときの,〈日本の〉には少なくとも2義がある。その一つは,〈日本語で書かれた(表現された)〉という意味であり,もう一つは〈日本人によって書かれた(表現された)〉という意味である。前者をとれば,日本文学とは日本語で書かれた作品であり,後者をとれば,日本語または中国語(漢詩文),または例外的に英語で書かれた作品を含む。…
…
[日本の標準語]
日本でも第2次大戦前は,東京山の手の話し言葉(東京語)を基盤とする標準語が全国民の使うべきものとされたが,実際には教科書や言文一致運動以降の文学作品の書き言葉として広まった。戦後は,現実に存在するものを〈共通語〉と呼ぶことが唱えられ,標準語は〈これから作りあげるべき正しく美しい理想的な日本語〉という性格を与えられて,現実には存在しないものとされた。しかし,標準語に非常に近いものが現に観察される。…
…〈琉球列島〉の全域,すなわち奄美諸島,沖縄諸島,宮古諸島,八重山諸島で話されている諸方言の総称。〈琉球方言〉ともいい,後述するようにふつう〈本土方言〉とともに日本語の二大方言をなすとみられている。 琉球語圏の最西端は台湾に近い与那国島,最北端は奄美大島で,鹿児島県下の種子島,屋久島,口永良部(くちのえらぶ)島,吐噶喇(とから)列島などでは本土系の方言が使われている。…
…日本で本来の日本語をさしていう。〈倭語〉とも書き,〈大和言葉(やまとことば)〉ともいう。…
※「日本語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
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