朝日日本歴史人物事典 「石川名足」の解説
石川名足
生年:神亀5(728)
奈良時代の上級官僚。年足の子。天平宝字5(761)年1月に正六位上から従五位下,下野守となり,以後備前守,陸奥鎮守将軍,陸奥守など地方官を歴任。この間,備前国藤野郡(岡山県和気郡)の民力の充実のため同郡の拡張を行い,伊治城(宮城県築館町)築城の功をあげた。宝亀2(771)年からは主として中央官僚として昇進し,『続日本紀』の編纂にも携わった。死去のときは中納言従三位兼兵部卿皇后宮左京大夫大和守であった。記憶力がよく,利口で決裁に滞ることがなかったが,度量が狭く,気に入らないと相手を罵ったため,事務に携わる者は名足を避けたと伝える。
(岩本次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報