石戸村(読み)いしとむら

日本歴史地名大系 「石戸村」の解説

石戸村
いしとむら

[現在地名]三川村上戸谷渡かみこやど 石戸

阿賀野川右岸にあり、東は取上とりあげ村、対岸熊渡くまわたり村がある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「石堂 熊渡 六十六石二斗四升」とあり、給人は平左。元禄郷帳では石戸村とあり二八石四斗余。文化年間(一八〇四―一八)の家数二九、集落の東を石戸沢(現石戸川)が流れ霧滝があると記す(新編会津風土記)。明治八年(一八七五)の戸数三三・人口二三〇。元和六年(一六二〇)漆木役として六本七分とある(津川旧記)。寛永一五年(一六三八)小川庄山役之覚(同書)に「拾四匁 下条組 石戸村」とある。

石戸村
せきどむら

[現在地名]八尾町石戸

水谷みずたに村の東方井田いだ川左岸にある。正保郷帳に村名がみえ、高四六九石余、田方二八町八反余・畑方二町五反。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高四六九石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高四一五石余。寛政二年(一七九〇)の古高三五〇石余・定免五ツ一歩五厘、新田高二九石余・平均免四歩八厘余、銀納畠は二千一〇五歩(一〇〇歩につき一匁八分)、定小物成銀は川原役三四匁六分一厘余・鮎川役八匁・鱒川役八匁余・銀納林七匁余(高物成品々手鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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