日本歴史地名大系 「石狩街道」の解説 石狩街道いしかりかいどう 北海道:石狩支庁石狩街道近代以降に札幌市街から北上し、茨戸(ばらと)(現札幌市北区)・花畔(ばんなぐろ)(現石狩市)を経て石狩川河口部へ向かっていた道(旧国道二三一号)の通称。明治初期には石狩道(「北海道志」巻九)、石狩県道(「町村誌資料」道立文書館蔵)などとも称した。当初、札幌市街―茨戸間は伏籠(ふしこ)川に沿った以前の道道茨戸―札幌線にあたる道筋をさしていたが、明治一九年(一八八六)にその西方の道(ほぼ国道二三一号に相当)が開削されると、この道筋を石狩街道とよび、第二次世界大戦後も札幌では国道二三一号を石狩街道と称することが多かった。現在の札幌市内にあたる部分は、一八六六年(慶応二年)に大友亀太郎がイシカリ御手作場(のちの札幌元村)を開設したとき、シャクシコトニ道とともに御手作場から北のシノロ村、また御手作場の南方を走るサッポロ越新道とを結ぶ路線を開いたことに始まる(新札幌市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by