朝日日本歴史人物事典 「石田春律」の解説
石田春律
生年:宝暦7(1757)
江戸中・後期,石見地方の農業仕方を説いた農学者。石見国太田村(島根県江津市)生まれ。太田村庄屋,通称初右衛門,江川堂澗水と号した。天明年間(1781~89)の飢饉に当たり土地の開発や用水補修で村を救済。甘藷栽培法の改良などを広め,石見における甘藷三大恩人とされる。文化4(1807)年中国地方を遊説中の心学者大島有隣に面会し教えを受ける。終生居村を離れず独学で通し,同14年地誌として著名な『石見八重葎』13巻を,また文政2(1819)年には農業経営書『百姓稼穡元』7巻を刊行。後者は石見地方の農業経営を古代の神話と結びつけた農業仕方書で春律の代表作である。ほかに農業書『百姓代擺図』(1819),地誌『石見大絵図』(1812),『石見名所図絵』(1817),料理作法書『客来袖草紙』(1821)などがある。<参考文献>『石田春律集』(近世社会経済学説大系),『浜田町史』
(神崎彰利)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報