石田湊(読み)いしだみなと

日本歴史地名大系 「石田湊」の解説

石田湊
いしだみなと

[現在地名]黒部市石田

石田村には延宝六年(一六七八)加賀藩の年貢米を入れる蔵が置かれ、幕末まで蔵米の積出港として栄えた。安永(一七七二―八一)頃から蔵米が加賀の商人や船頭によって江戸・大坂・金沢方面へ積出されていた。天明(一七八一―八九)から弘化年間(一八四四―四八)の移入品は能登珠洲すずから灰、氷見ひみから炭、越後から干鰯などがある。移出品は石田産の干鰯、黒部奥山のクロベの木と平地ケヤキなどの木材が伏木ふしき(現高岡市)へ運ばれた。移出入の回数は天明から弘化までの約六五年間に約三〇〇回であったが、嘉永(一八四八―五四)から明治一〇年(一八七七)までの約三〇年間に約六〇〇回と激増している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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