石蓮寺村(読み)せきれんじむら

日本歴史地名大系 「石蓮寺村」の解説

石蓮寺村
せきれんじむら

[現在地名]豊中市若竹わかたけ町一―二丁目・服部緑地はつとりりよくち

小曾根おぞね村の北にあり、同村の枝郷(元禄郷帳)。村域は千里丘陵を含み、集落(現若竹町一丁目)丘陵から低地に移ったこもヶ池・なか池・若竹わかたけ池の東側に展開している。村名の基となった寺院石蓮寺は天平年間(七二九―七四九)創立と伝え(大阪府全志)、その寺跡が現若竹町一丁目に残る。天正七年(一五七九)三月一三日、滝川一益が摂州石蓮寺郷中に対し禁制を出しており(渡辺家文書)小村の形成が認められる。


石蓮寺村
しやくれんじむら

[現在地名]熊山町石蓮寺

石蓮寺山の山上から山腹を占める。山上にあった石蓮寺の門前集落を起源とする。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)のカマ庄に村名がみえ、寛永備前国絵図では高八六石余。「備陽記」によれば岡山京橋(現岡山市)まで道程五里二一町、田畠一五町三反余、家数三一・人数一九四、池一六。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高一三五石余、家臣一名の給地。田高五五石余・六町六反余、畑高三七石余・七町七反余、物成合計六八石余、開田畑高一石余・五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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