石蟹山城跡(読み)いしがやまじようあと

日本歴史地名大系 「石蟹山城跡」の解説

石蟹山城跡
いしがやまじようあと

[現在地名]新見市石蟹

高梁たかはし川と支流小坂部おさかべ川の合流点西方山頂に築かれた中世の城。備中南部と新見庄との出入口を押える位置にある。城主は石蟹氏、築城の時期は不明。天文(一五三二―五五)頃の一時期、城主石蟹山城守元宣(石蟹与兵衛)尼子氏に捕らえられ、出雲富田城において蟄居の身であったと伝える。天文二二年の猿掛合戦では、石蟹氏は塩城山しおきやま城主多治部氏などとともに庄氏にくみし、毛利・三村連合軍と戦っており(陰徳太平記)、庄氏系譜(荘文書)の庄氏敬の女の項に「石賀与兵衛室」とある。石蟹氏は三村氏の庶流と伝えられるが、主家を離れて独自の道を歩んだようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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