日本歴史地名大系 「石間村」の解説 石間村いしまむら 新潟県:東蒲原郡三川村石間村[現在地名]三川村小石取(こいしとり)阿賀野川右岸にあり、東は熊渡(くまわたり)村、西は小松(こまつ)村(現北蒲原郡安田町)、本村の東に端村の釣浜(つりはま)、北に宝珠(ほうじゆ)山(五五九メートル)がある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「石間 六十九石三斗八升」とあり、給人は平左。元禄郷帳では六一石五斗余。文化年間(一八〇四―一八)の家数は四一、釣浜は一八、集落の南東に袖沢(そでさわ)堤がある(新編会津風土記)。 石間村いさまむら 埼玉県:秩父郡吉田町石間村[現在地名]吉田町石間城峰(じようみね)山の南、石間川流域の山間地に位置し、南は上吉田村・下吉田村、北は太田部(おおたぶ)村。石間川が村の北から南へと流れ、同川に沿い往還が通る。元亀二年(一五七一)四月七日の北条氏邦印判状(高岸文書)に「石間谷」とみえ、鉢形(はちがた)城(現寄居町)城主北条氏邦は去る二月二七日の石間谷における高岸対馬守の働きを賞している。初めは幕府領、明和二年(一七六五)旗本松平領となり、同領で幕末に至ったと考えられる(「風土記稿」「郡村誌」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報