日本歴史地名大系 「砂越村」の解説
砂越村
さごしむら
元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二七六石余、寛永元年庄内高辻帳では高五八一石余。当村は元和八年以来庄内藩領であったが、寛永九年(一六三二)村高のうち一部は加藤忠広領となる(残りは庄内藩領として幕末に至る)。承応二年(一六五三)加藤氏領は幕府領となり、元禄二年(一六八九)まで庄内藩預地であった。その後幕末まで幕府領で大山代官所の支配下にあった(「検地帳」砂越区有文書など)。天保五年(一八三四)の名寄帳(同文書)では村高七三七石余、うち庄内藩領七一六石余・幕府領二〇石余。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に当村の大川御役として、「なかし」五網分銀九五匁余とある。貞享四年(一六八七)草刈地の
砂越村
すなこえむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報