砂越城跡(読み)さごしじようあと

日本歴史地名大系 「砂越城跡」の解説

砂越城跡
さごしじようあと

[現在地名]平田町砂越

最上川右岸約一キロの河岸段丘上にあり、北に眺望が開ける要衝にある。南北朝期に築かれたと伝える平城で、本丸跡は現在諏訪神社境内となっている。城の規模は、寛文二年(一六六二)の砂越古楯跡本丸図(飽海郡誌)に東二四間・西二四間・南一九間・北一六間、上畑五反四畝とあり、「山形県史蹟名勝天然紀念物調査報告」では東三五間・西三五間・南四八間・北四二間で、周囲に高さ一・五―二間の土塁があるとする。寛保三年(一七四三)の砂越村絵図(砂越区有文書)では、本丸跡には諏訪明神宮、南は四九間で大手門跡があり、北五〇間・東三九間・西四〇間、四囲土手、北と東に堀が描かれている。また砂越村東端の八幡宮と山王宮の東側に土手と堀があり、本丸周辺は「楯之内」と記されている。石黒家記(飽海郡誌)に当城の起源として、播州赤松氏の三男石黒某が初め升田ますだ村に住み、のち砂越に館を築いて移転、平田ひらたの地に七〇〇貫文の知行を受けたが、その後鎌倉より武藤氏とともに庶族砂越氏が下向、石黒氏に代わって当城に入ったとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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