示野村(読み)しめのむら

日本歴史地名大系 「示野村」の解説

示野村
しめのむら

[現在地名]金沢市示野町

犀川下流北岸、示野中しめのなか村の西に位置する。中世には臨川りんせん(現京都市右京区)大野おおの庄のうち。

元亨二年(一三二二)一一月一一日のいよの局下知状(天龍寺文書、以下断りのない限り同文書)に「しめのゝむらのしゆこの事」とみえ、番頭・百姓らに対して米二〇石を「りせう」方へ渡すよう命じている。応永三一年(一四二四)一二月二三日、宮腰みやこし住人最勝房俊慶は相伝の「大野庄示野村一王丸名」の名主職を「要用」あるによって二年ののち代銭一八五貫文で売渡すことを約している(俊慶売券)。同三三年六月二日の妙常紛失状や同月二〇日の俊慶証状などによれば、同名は本主俊慶が応永二三年以来臨川寺塔頭三会さんえ院の末と思われる大野庄内円楽寺に一〇年を限り沽却していたもので、俊慶が請返そうとした際に重書・売券などの紛失が判明したため、俊慶は三会院より証文を下されて本銭をもって請返している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報