祝町
いわいちよう
[現在地名]平戸市崎方町 祝町
平戸城の北西、常盤町の東、平戸浦の北岸にあり、本町通六ヵ町の一つ崎方町に属した。元禄一〇年(一六九七)当時の諸商職は糀屋・湯屋・御蔵仲仕・船大工・家大工・菓子屋並饅頭屋各一、常盤町と合せて豆腐屋七・素麺屋五・米屋四・味噌醤油酢屋四・打綿屋四・問屋三・鬢付屋二・髪結二、大福町と合せて石切四、常盤町・大福町と三町合せて諸色振売小商人九・魚屋八・魚振売九・刻み煙草屋四・城下酒頭師(杜氏)三・日用取八があった(町方年鑑次第)。
祝町
いわいまち
[現在地名]会津若松市西七日町・神指町黒川
七日町四谷より薬師堂河原の間、越後街道に沿ってある。町の起源は明らかではないが、蒲生氏の時代にはすでにあったと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の祝町の言及
【磯節】より
…茨城県三浜地方(那珂川河口に並ぶ湊・平磯・磯浜)の祝町などの遊郭で歌われた座敷歌。江戸時代からこの地に立ち寄る漁師たちによって歌われていた〈櫓漕ぎ歌〉を現在の曲調に完成したのは明治20年代である。…
※「祝町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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