日本大百科全書(ニッポニカ) 「神の死の神学」の意味・わかりやすい解説
神の死の神学
かみのしのしんがく
とくに世俗化の問題との取り組みにおいて、神は死んだという立場にたつ神学。神の死について反キリスト教の哲学者ニーチェは語ったが、神の死について語る神学者が出現したのは、1960年代のアメリカである。最初に『神の死』(1961)という題名の書物を著したバハニアンは、現代人にとって神は文化的アクセサリーか観念でしかないために、現代は「神の死後の時代」であると規定した。ついでバン・ビューレンは『福音(ふくいん)の世俗的意味』(1963)を書き、「神」という言語の死について語った。神という命題は証明不可能であるがゆえに、そのことばを用いることは無意味であるからである。さらに『世俗的都市』(1965)の著者コックスは、人種差別を容認しているアメリカ社会の神は死んでいる、いや死ぬべき神であると主張した。これらの文化的、言語的、社会的な意味での神の死を実存的かつ神学的な主題としたのは、共著で『過激な神学と神の死』(1966)を出版したハミルトンとアルタイザーである。ハミルトンは、彼自身と現代世界が体験した第二次世界大戦のアウシュウィッツやヒロシマの悲劇から神不在の実存的経験について語り、それを超えるものとしては愛の実践しかないと結論した。アルタイザーは十字架上のキリストの死こそは神の死であり、それは超越的な神が死んで人間世界と歴史のなかに内在し、その苦難のなかにいたもうという福音であると解釈した。この神学の流行は60年代で終わったが、現代における神の問題として不可避の課題を提示した貢献は少なくない。
[古屋安雄]