バンビューレン(その他表記)Martin Van Buren

デジタル大辞泉 「バンビューレン」の意味・読み・例文・類語

バン‐ビューレン(Martin Van Buren)

[1782~1862]米国政治家。第8代大統領在任1837~1841。民主党国務長官副大統領を経て大統領に就任。在任時に大不況に見舞われ、再選を逃がした。→ハリソン

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改訂新版 世界大百科事典 「バンビューレン」の意味・わかりやすい解説

バン・ビューレン
Martin Van Buren
生没年:1782-1862

アメリカ合衆国第8代大統領。在職1837-41年。1820年代にニューヨーク州猟官制度スポイルズ・システム)を用いて,結束の固い職業政治家集団オルバニー・リージェンシーをつくり,1828年これを率いてジャクソンの大統領当選を助けた。猟官制はジャクソン政権でも意識的に採用され,リージェンシーの組織原理はジャクソン派が民主党として発展していく際のモデルとなった。彼自身ジャクソンの下で国務長官,副大統領を務めた後,後継者として大統領に選ばれた。しかし就任直後,37年恐慌に見舞われ,次の選挙で敗れた。44年選挙ではテキサス併合に反対して南部奴隷主階級の支持を失い,民主党の指名を逸した。48年には奴隷制拡大反対派に推されてフリー・ソイル党候補となったが,落選後民主党に復党した。結局,彼は民主党をつくり,民主党員として生きた。しかし南北戦争勃発後,敵の共和党のリンカン大統領に期待を寄せながら死んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バンビューレン」の意味・わかりやすい解説

バン・ビューレン
Van Buren, Martin

[生]1782.12.5. ニューヨーク,キンダーフック
[没]1862.7.24. ニューヨーク,キンダーフック
アメリカの政治家。第8代大統領 (在任 1837~41) 。 1803年生地で弁護士を開業。 1812~20年ニューヨーク州上院議員,同州検事総長。 1821~28年連邦上院議員,1829年ニューヨーク州知事となったがすぐやめ,A.ジャクソン大統領の国務長官 (1829~31) ,副大統領 (1833~37) となった。 1836年ジャクソンのあと押しで大統領に当選。 1837年の恐慌対策,対イギリス外交,全国政党としての民主党組織の確立と維持などに尽力したが,セミノール戦争に要した過大な戦費やテキサス併合問題などで反感を買い,不人気のまま 1840年の大統領選挙で W.ハリソンに敗れた。 1848年には「自由土地党」を足場に三たび大統領選挙に出馬したが落選し,以後生地に引退した。『自叙伝』 The Autobiography of Martin Van Burenは 1920年に出版された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バンビューレン」の意味・わかりやすい解説

バン・ビューレン
ばんびゅーれん
Martin Van Buren
(1782―1862)

アメリカ合衆国第8代大統領(在任1837~41)。1820年代ニューヨーク州で猟官制(スポイルズ・システム)を用いて、強固な職業政治家集団「オルバニー・リージェンシー」をつくった。これが後の二大政党組織の原型となった。28年の大統領選挙でジャクソンを支持し、国務長官、副大統領を経て民主党選出の大統領になったが、37年恐慌の痛手で次の選挙でホイッグ党のハリソンに敗れた。44年選挙では奴隷主階級の意に反してテキサス併合に反対し、民主党の指名を逸した。48年に奴隷制拡大反対派の自由土地党候補となったが、落選後復党した。彼は民主党をつくり、民主党員として死んだ。

[安武秀岳]


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