日本歴史地名大系 「神奈川町」の解説
神奈川町
かながわまち
近世には西に続く
文永三年(一二六六)五月二日の北条時宗下文(県史一)によれば、「鶴岡八幡宮領武蔵国稲目・神奈河両郷役夫工米」を免除するよう命じている。正平七年(一三五二)閏二月、新田義宗(義貞の子)が鎌倉に攻め入ると、足利尊氏は鎌倉を捨て「武州狩野河」にいったん立籠った(「園太暦」同年三月四日条所載閏二月一九日「新田義宗注進状写」)。永和四年(一三七八)八月三日の武蔵守護上杉憲春施行状(県史三)によれば、神奈河や
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報