神宝山八幡宮
しんぽうざんはちまんぐう
[現在地名]美都町仙道
仙道の中央、益田川右岸近くの丘陵山麓にある。旧郷社で法人名は八幡宮。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。もとは益田川左岸、下都茂集落南側山麓にあったといわれる。中世には山道八幡宮と称された。永徳三年(一三八三)八月一〇日の益田祥兼置文(益田家文書)に「東山道八幡宮放生会御祭礼事、自往古為両山道所役、於向後任先例矣」とみえる。永禄一〇年(一五六七)三月一二日の山道郷八幡宮社領注文(草野家文書)によると、同社神主(大夫)の給分として、田地一八筆二町一二〇歩・畠地八筆一町三段、および屋敷五ヵ所が認められている。社伝によると天暦八年(九五四)豊前宇佐宮より勧請と伝え、建久八年(一一九七)源頼朝によって美濃郡のうち仙道・三谷・小原・朝倉・久原の五ヵ庄の地一三〇石余を神領として与えられたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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