日本歴史地名大系 「神応寺跡」の解説 神応寺跡じんのうじあと 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区識名村神応寺跡[現在地名]那覇市繁多川四丁目識名(しきな)宮の神宮寺として隣接地に建立されていたが、沖縄戦で破壊され、現在跡地には神応寺跡碑が建てられている。俗に識名(しちな)寺とも称した。姑射山と号し、真言宗で護国寺の末寺であった。開基年代は不明だが、「琉球神道記」に「尸棄那権現神応寺」とみえるので、遅くとも一六世紀には創建されていたと考えられる。「琉球国由来記」には本尊は千手観音ならびに阿弥陀如来とある。「琉球国由来記」および「球陽」尚貞王三年条によれば、当寺はもと禅宗寺院であったが、護国寺住持頼昌が首里王府の許しを得てこの年真言宗に改宗したという。「球陽」同一二年条には当寺と識名宮を瓦葺に改めたことが記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by