朝日日本歴史人物事典 「神戸分左衛門」の解説
神戸分左衛門
生年:生年不詳
江戸前期の名古屋屈指の材木商,新田開発者。尾張国(愛知県)丹羽郡犬山の神戸家より分家,生家と同じ材木商を犬山屋の号で開業,以後代々,分左衛門を名乗る。妻の名は松。延宝・天和年間(1673~84),本家の兄弥兵衛に代わり山元からの材木切り出しにも進出し,本家の信用を背景に,材木の荷主を兼ねた高利貸商人として木曾,飛騨等の材木生産地を支配,元禄ごろには大材木商の奈良屋茂左衛門,冬木屋小平次らの活躍する江戸にも弟彦七を常駐させた。絹・麻・綿織物,肥料の干鰯なども扱う一方,尾張藩家老成瀬家などへの家中貸しにより藩権力に接近した。2代目分左衛門正種は,宝永4(1707)年より本家や井筒屋平兵衛らと海西郡十四山村(愛知県海部郡)の大宝前新田,のちの神戸新田の開発に着手。数度にわたる堤防決壊による新田全滅,大破にあって他の出資者は脱落したが,残った開拓地45町歩余(約45ha)の不在地主として独立経営に当たり,年始の藩主謁見を許された。<参考文献>『十四山村史』,大石慎三郎「町人請負新田の成立事情―神戸新田(大宝前新田)の場合」(『史学雑誌』1951年9月号)
(林順子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報