神田町(読み)かんだまち

日本歴史地名大系 「神田町」の解説

神田町
かんだまち

[現在地名]長岡市神田町一―三丁目・西神田にしかんだ町・西神田町一―二丁目・呉服ごふく町・なが町二丁目・あら町一丁目・石内いしうち一―二丁目

文化二年(一八〇五)写延宝年中(一六七三―八一)の長岡町割絵図(安禅寺文書)によると、関東かんとう町の北、幅五間半の神田通を桶屋おけや町と次いで至る。南から北へ神田一之町から三之町まで続き、三之町の北で城下町は切れて、新町あらまち村へ通じ、西へ蔵王ざおう堂への道が分岐する。一之町の東西両側に各一四軒、二之町東側一六軒・西側一四軒、三之町東側二三軒・西側二六軒。地名の神田は、蔵王権現に献供した米田があり、これを耕作した農民が居住した土地にちなむ。永仁(一二九三―九九)頃、この地に大沼おおぬま城と称する城があったというから、早くから開けたところであろう。天正村名考(温古之栞)には二一二軒あったと伝える。神田町一丁目の少彦名すくなひこな神社の寛永二一年(一六四四)一〇月の鰐口に「薬師鰐口」「越後国長岡神田村」の名が記される(長岡市史)


神田町
かんだまち

[現在地名]西区西本にしほん町一丁目

権右衛門ごんえもん町の西、おくび町の南にあり、江達えたつ橋から西に延びる通りの両側町。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図では「江戸こんや町」と記されるが、のち改称(初発言上候帳面写)、元禄年間(一六八八―一七〇四)以降の絵図では神田町とある。「宝暦町鑑」にはこの町筋全体を「あハざ戸屋町通り」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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