少彦名神社(読み)すくなひこなじんじや

日本歴史地名大系 「少彦名神社」の解説

少彦名神社
すくなひこなじんじや

[現在地名]東区道修町二丁目

薬祖神少彦名命を祀る神社。中国の薬祖神である神農氏をあわせて祀り、「神農さん」とよび親しまれている。享保七年(一七二二)に成立した道修町薬種仲買仲間が、道修どしよう町二丁目の仲間寄合所に神農氏の像を祀ったことにはじまる。薬種が人命にかかわるものであるため、神の加護によって職務を全うしようとする信仰心から、当時の薬種業者は個々の家でも神農氏を祀ることが多かったが、仲間成立によって幕府公認の株仲間としての権威の表現と、仲間の精神的結束象徴として寄合所に祀ったものと思われる。それが中国の神農氏であったのは医薬が中国渡来のものであったためであろう。

少彦名神社
すくなひこなじんじや

[現在地名]五戸町手倉橋 薬師沢

手倉橋てぐらばし集落南方約二・五キロ、標高約二四〇メートルの山頂に位置する。祭神は大那牟遅大神・少彦名大神。藩政期には峯薬師堂と称されたが、明治初年の廃仏毀釈により現社名に改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の少彦名神社の言及

【少彦名命】より

…なおオオナムチ,スクナビコナは医療,禁厭(まじない)の法を定めたとされる(《日本書紀》神代巻)だけに,温泉の開発神とする伝えが各地に多くみられ(伊予国,伊豆国の《風土記》逸文など),延喜典薬式に用いられている薬草石斛(せつこく)はスクナヒコノクスネ(少名彦の薬根)と呼ばれた(《和名抄》《本草和名》)。近世以降,大阪の薬問屋街,道修町(どしようまち)では薬種の守護神として少彦名神社をまつり,毎年11月には全店休業しての大祭が今日でも行われている。また薬師信仰の普及のなかで,スクナビコナは薬師如来と習合されてゆくが,857年(天安1)2神をまつる常陸国大洗磯前(いそざき)神社,酒列(さかつら)磯前神社(ともに式内社)が,官命により〈薬師菩薩名神〉と加号された(《文徳実録》)のはその早いあらわれといえる。…

【道修町】より

…現在もその伝統を受け継ぎ,中買仲間の系譜をひく武田薬品工業,田辺製薬といった大手製薬会社の本社をはじめ,多数の薬品会社が当町に集中している。また1780年(安永9)中買仲間が京都五条天神社から勧請した少彦名(すくなひこな)神社は薬祖神として中国の神農氏を合祀し,〈神農さん〉と呼び親しまれ,現在11月22日,23日の祭礼には人出でにぎわい,病除けのお守りとして笹につけた張子の虎を授与することで有名である。【今井 修平】。…

※「少彦名神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」