神野信一(読み)かみの しんいち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神野信一」の解説

神野信一 かみの-しんいち

1889-1933 大正-昭和時代前期の労働運動家。
明治22年1月3日生まれ。石川島造船所につとめ,大正9年スイスへ派遣される。この海外での見聞契機国家主義に転じ,乃木希典(のぎ-まれすけ)を崇敬する自彊(じきょう)労働組合結成安岡正篤(まさひろ)に師事し,労使一体・産業報国の日本主義労働運動を推進した。昭和8年9月19日死去。45歳。愛媛県出身。湊川(みなとがわ)実業補習学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の神野信一の言及

【日本主義労働運動】より

…当時の石川島は左翼の評議会(日本労働組合評議会)の拠点であった。これに対抗して結成された自彊組合は会社組合であるが,組合長の神野信一(同造船所職長)は安岡正篤の金鶏学院の一員で,〈産業立国〉〈労資融合〉をスローガンとする日本主義労働運動を提唱した。29年,自彊組合は横浜船渠,浦賀船渠の企業別組合の連合体,武相労働連盟に参加し,その主導権を握り,30年にはこれを日本造船労働連盟と改称,これを足場に労働界における勢力拡大を図った。…

※「神野信一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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