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安岡正篤 やすおか まさひろ

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美術人名辞典の解説

安岡正篤

国家主義者・陽明学者。大阪生。東大卒。国家主義団体行地社に参加後、私塾金鶏学院を設立、日本精神を鼓舞して新官僚に影響を与えた。のち、国維会に参加、戦後は全国師友協会会長となり、憲法の会、新日本協議会などを設立。憲法改正運動、安保推進運動などを行い、戦後の歴代首相の指南役を務めた。著書に『東洋倫理概論』『王陽明研究』等。昭和58年(1983)歿、85才。

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百科事典マイペディアの解説

安岡正篤【やすおかまさひろ】

陽明学者,右翼思想家。大阪生れ。1922年東京帝大卒。若くして華族・富豪層に師として遇され,1927年伯爵酒井忠正の援助で金鶏学院を創立,日本主義思想による青少年の精神教化運動に取り組む。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安岡正篤 やすおか-まさひろ

1898-1983 大正-昭和時代の思想家,陽明学者。
明治31年2月13日生まれ。昭和2年金鶏学院を創立。7年同学院を母体に国維会が結成され,新官僚に影響をあたえる。終戦時の「玉音放送」原稿の添削をした。24年全国師友協会を設立,歴代首相,政財官界首脳に信奉された。昭和58年12月13日死去。85歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「王陽明研究」「日本精神の研究」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

やすおかまさひろ【安岡正篤】

1898‐1983(明治31‐昭和58)
陽明学者,日本主義思想家。大阪生れ。1922年東京帝国大学卒業。1921年ころから参加していた社会教育研究所,その後身の大学寮で当時のデモクラシー思潮に対抗して日本主義を主張する講義を行う。25年行地社を脱退し,青少年の精神教化運動を志して,酒井忠正らの援助により金鶏学院を創立(1927)。32年日本精神による政教の維新を唱えて国維会を結成,新官僚の本山と目された。戦時中,大東亜省顧問などを務め,終戦時の〈玉音放送〉の原案に朱を入れた。

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大辞林 第三版の解説

やすおかまさひろ【安岡正篤】

1898~1983) 国家主義者。大阪生まれ。1924年(大正13)行地社を結成、27年(昭和2)金鶏学院を創立、新官僚に影響を与える。国粋主義団体国維会に参加。第二次大戦後も政財官界首脳に信奉者がいた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安岡正篤
やすおかまさひろ

[生]1898.2.13. 大阪
[没]1983.12.13. 東京
陽明学者,思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え,早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。 1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め,31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を創設する。

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世界大百科事典内の安岡正篤の言及

【右翼】より

…占領期の右翼は,民主主義を仮装していたが,独立後は天皇中心主義,反共反社会主義,再軍備促進,憲法改正などの独自の主張をかかげて公然と活動しはじめた。復活した右翼のなかには,安岡正篤や笹川良一らのように歴代保守政権との癒着を深めた者,ロッキード事件被告の児玉誉士夫のように腐敗行為を摘発された者,赤尾敏らのように執拗な反共街頭宣伝をくりかえす者などさまざまなタイプがみられる。右翼団体は,革新勢力の反政府運動や平和運動が高まるたびに危機感を強め,一方では60年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件のようなテロ活動に走り,他方では情勢の変化に応じてソ連(現,ロシア)脅威論にもとづく自主防衛力の強化と日米安保体制堅持,自主憲法制定,建国記念日(紀元節)復活・奉祝,靖国神社国家護持,日教組打倒と教育正常化,北方領土奪還などを呼号している。…

【行地社】より

…機関誌として月刊《日本》を発行。初め満川亀太郎,笠木良明,安岡正篤,西田税など猶存社の主要メンバーが集まったので,当時最も有力な国家主義団体とみられていた。しかし,25年の安田生命争議や宮内省怪文書事件をきっかけに国家主義者間の大川派と北一輝派との対立が表面化すると,社内でも内訌(ないこう)がおきた。…

【国維会】より

…1932年1月金鶏学院の安岡正篤が中心となり,近衛文麿,吉田茂(内務官僚),後藤文夫,酒井忠正,岡部長景,松本学,荒木貞夫らの華族・官僚・軍人を発起人として設立された〈日本精神〉による国政革新をめざす団体。満州事変後の情勢を〈我国近来の内憂外患は其の重大深刻なる殆ど有史以来未曾有〉ととらえ,その打開のため,人材の糾合と国政革新計画の樹立をめざした。…

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