福田新田村(読み)ふくたしんでんむら

日本歴史地名大系 「福田新田村」の解説

福田新田村
ふくたしんでんむら

[現在地名]港区南陽なんよう町〈西福田にしふくた福田〉、海部あま蟹江かにえ町西福田

北は富永とみなが(現中川区)、東はしん川に面した寛永一七年(一六四〇)開墾の大新田。「寛文覚書」によれば概高一千三六四石余、田は三五町六反二畝余、畑は一三九町九反九畝余。家数一三八、人数七三八とある。戸田川を境として東福田新田・西福田新田と東西に分れ、享和三年(一八〇三)の尾張領各郡村仮名附帳(徳川林政史蔵)には「先年ハ東福田村、西福田村福田新田村」とある。

福田新田村
ふくだしんでんむら

[現在地名]神崎町新田しんでん

作畑さくはた村の北東越知おち川の上流域に位置する。多可たか郡に属する。「神崎郡誌」によると、近世初期には福畑ふくはた村に含まれ、のち作畑と新田に分れたとされ、元禄郷帳などには作畑村枝郷と注記される。領主変遷大山下おおやましも村と同じ。寛永三年(一六二六)多可郡新検高(松井家文書)に福田新田とみえ、高三六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報