福田新田(読み)ふくだしんでん

日本歴史地名大系 「福田新田」の解説

福田新田
ふくだしんでん

福田古新田の地先、東高梁ひがしたかはし川河口に嘉永四年(一八五一)完成をみた五四三町歩(見面は二割増の六五二町)の新田。北畝きたせ村・中畝なかせ村・東塚ひがしづか村・南畝みなみせ村・松江まつえ村の五ヵ村よりなる。現在は水島コンビナートの東部地域を形成する。天保六年(一八三五)児島郡黒石くろいし村大庄屋永山利右衛門が開発を上申、弘化二年(一八四五)児島郡柳田やないだ村庄屋汲五平に開発が決定(「新開目論見」野崎文書)。しかし汲五平の資金調達が難航して着工が遅れたため、嘉永元年築立方は味野あじの村野崎武左衛門に変更された(「御内意書上」同文書)。武左衛門は備中倉敷村の中島屋・大黒屋をはじめ、笹沖ささおき村・味野村・小川おがわ村から計八名の銀主、総額銀四〇〇貫を用意して着工した(「口達書写」同文書)


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]板倉町上福田新田かみふくだしんでん

別所べつしよ川右岸に位置し、東は四ッ屋よつや新田、南は別所川を隔てて長嶺ながみね村、北は松之木まつのき(現上越市)に接する。天和三年郷帳では高六〇石余、うち野高九斗四升八合・漆高一斗二升であった。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]頸城村大坂井おおさかい

坂井さかい新田の西にある。正保元年(一六四四)に開発のなったおおぶけ新田のうち。明暦元年(一六五五)中谷内なかやち新田の開発がなったときも高二八石二斗余が開かれた(平石家文書)。天和三年郷帳によれば高一〇六石三斗余。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]守門村福田新田

大倉沢おおくらさわ村の北東。東の破間あぶるま対岸須川すがわ村。上流は須原すはら村。大倉沢村の枝村。天和三年郷帳では高二三石余。同年(一六八三)検地帳(守門村史)では田一町四反余・畑八反余、名請人は二人。耕地は地字前田・腰まき山田・腰まき沢田に多い。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]妙高村東福田新田ひがしふくだしんでん

文政三年(一八二〇)の頸城郡細見絵図によれば、田中たなか新田から北東の西田屋にしたや新田へ向かう道の西側山裾に村名が記される。道の東はおか新田。天和三年郷帳に村名がみえず、元禄郷帳では花房はなぶさ村枝郷として高四七石一斗余とある。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]長岡市天神てんじん

西は天神小屋てんじんごや村。黒津くろづ村の枝郷。元禄郷帳では高九三石九斗余であるが、旧高旧領取調帳では福田村外新田と記し高八二石五斗余。浄土真宗本願寺派浄林じようりん寺は釈善暁の開基。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]上越市大道福田だいどうふくだ

新道しんどう地区北端に位置。天和三年郷帳によれば高一三七石七斗余。富岡とみおか村枝郷(元禄郷帳)


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]中郷村西福田新田にしふくだしんでん

岡沢おかざわ村の北東にあり、北は村・東志ひがしし(現新井市)に接する。近世初期の新田村で、正保国絵図に村名があり、高六七石余。天和三年郷帳では高七二石余、うち山高七合・漆高五升五合。


福田新田
ふくだしんでん

[現在地名]下妻市福田

大宝だいほう(糸繰川)西岸の台地上にあり、対岸は大宝村大串おおくし村。元禄期(一六八八―一七〇四)以後開発された新田村(新編常陸国誌)で、天保郷帳に村高七二〇石余とみえ、天領であった(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の福田新田の言及

【児島湾】より

…しかし近世後期に至って,幕命による大規模な干拓が施行されることになった。1823年(文政6)完成の興除新田(839町)や52年(嘉永5)竣工の福田新田(543町)は,いずれも幕命による倉敷代官の監督下で,岡山藩請負の形で児島郡大庄屋らの手で施行された。これらの干拓で米麦および商品作物の栽培が発展し,岡山藩財政が潤ったことは注目される。…

※「福田新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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