日本歴史地名大系 「福知山城跡」の解説
福知山城跡
ふくちやまじようあと
福知山市街のうち旧城下町の南方にあたる東西約五〇〇メートル、南北約二〇〇メートルほどの
この地には中世後期、当地方に勢力をもっていた塩見氏(のち横山氏を名乗る)の居城があり
天正年間(一五七三―九二)には塩見大膳大夫信房が横山城に居城していたが、天正七年八月、丹波の諸城を攻略していた明智光秀に攻められ落城。光秀はここに城代として藤木権兵衛・明智秀満を置いた。同九年四月光秀は丹後宮津の城主細川忠興に招かれて天橋立見物に赴くが、途中この城に寄った。随行した茶人津田宗及の日記に「四月十日朝福地山にて明智
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報