秀山瑞藤(読み)しゅうざん・ずいとう

朝日日本歴史人物事典 「秀山瑞藤」の解説

秀山瑞藤

没年:享保15.11.5(1730.12.14)
生年:正保1(1644)
江戸前期の臨済宗の尼。鷹司信房の娘。生来聡明で慈悲深く,若年より仏道に志して独身を通し,父の死後の延宝3(1675)年相国寺で剃髪,尼寺通玄寺,次いで慈受院に住した。天和2(1682)年に等持院のかたわらに隠居して,行道に専念する。後水尾法皇の紫衣賜下の志も固辞して受けず,生涯一介の尼として暮らし,後水尾法皇から「幻住軒」の額を賜った。宝永4(1707)年1月,鷹ケ峰の源光庵の住職曹洞宗高僧,卍山道白を訪問し,強く感化を受け,正徳5(1715)年の道白の死まで師と仰いだ。死後,万年山長徳院に葬られた。<著作>『白髪記』『念仏三昧真性問答』<参考文献>卍山道白『卍山広録』,森田清之助『傑僧卍山』

(岡佳子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む