朝日日本歴史人物事典 「秀山瑞藤」の解説
秀山瑞藤
生年:正保1(1644)
江戸前期の臨済宗の尼。鷹司信房の娘。生来聡明で慈悲深く,若年より仏道に志して独身を通し,父の死後の延宝3(1675)年相国寺で剃髪,尼寺通玄寺,次いで慈受院に住した。天和2(1682)年に等持院のかたわらに隠居して,行道に専念する。後水尾法皇の紫衣賜下の志も固辞して受けず,生涯一介の尼として暮らし,後水尾法皇から「幻住軒」の額を賜った。宝永4(1707)年1月,鷹ケ峰の源光庵の住職で曹洞宗の高僧,卍山道白を訪問し,強く感化を受け,正徳5(1715)年の道白の死まで師と仰いだ。死後,万年山長徳院に葬られた。<著作>『白髪記』『念仏三昧真性問答』<参考文献>卍山道白『卍山広録』,森田清之助『傑僧卍山』
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報