日本大百科全書(ニッポニカ) 「私小説論」の意味・わかりやすい解説
私小説論
わたくししょうせつろん
小林秀雄(ひでお)の評論。1935年(昭和10)5月から8月にかけて『経済往来』に連載。同年11月、作品社刊。文壇の代表的論客となった小林秀雄が、横光(よこみつ)利一の『純粋小説論』(1935)の出現、文学者の転向などの文学状況のもとで示した文学史的展望として重要である。フランスでも自然主義爛熟(らんじゅく)の果てに、人間性再建の動きとして「私」の検討が生じたが、それを「社会化した〈私〉」とよぶことができる。ジッドの不安と自意識がそこに連なっている。これに対し日本では「私」の純化に向かい、日常性の芸術化としての心境小説が生じた。こういう展望の下で小林秀雄は日本文学の偏倚(へんい)を批判し、社会的伝統と歴史的成熟の方向を指示しながら、しかし「私小説は亡(ほろ)びたが、人々は〈私〉を征服したらうか」と警告を発して論を結んでいる。
[高橋英夫]
『『Xへの手紙・私小説論』(新潮文庫)』