評論家。明治35年4月11日、東京神田に生まれる。旧制東京府立一中、旧制一高を経て1928年(昭和3)東京帝国大学仏文科を卒業した。一中のころ富永太郎、河上徹太郎と、大学時代に中原中也(ちゅうや)、大岡昇平と知り合う。初め同人誌に小説『蛸(たこ)の自殺』(1922)、『一ツの脳髄』(1924)、『ポンキンの笑ひ』(1925)を発表したが、26年『人生斫断(しゃくだん)家アルチュル・ランボオ』により、フランス象徴派を基盤とした文学批評を開始する。29年『改造』の懸賞評論『様々なる意匠』で文壇に登場、翌年から『文芸春秋』に文芸時評を連載、歯切れのよい文体と逆説で左翼文学の観念性と新興芸術派の空疎さを鋭くつきながら、旧来の印象批評、実感批評を乗り越えて、自意識と存在の対決を軸とする近代批評を確立した。33年『文学界』創刊に参加、35年からはその編集責任者になり、文壇の代表的批評家として活躍、『私(わたくし)小説論』(1935)では「社会化した私」というキーワードで私小説を批判した。一方、35年からライフワークの一部となる『ドストエフスキイの生活』(1935~37)を連載し、社会評論にも筆を染め始めたが、しだいに内面的思索に沈潜してゆく。
その成果が戦争末期から戦争直後にかけての『無常といふ事』(1942~43)、『モオツアルト』(1946)で、前者は近代の諸観念に毒されない歴史や伝統の姿をみいだし、後者は天才の無垢(むく)を「ト短調」というキーのなかに聴き分けて、小林秀雄の精神の高さを示した。これ以後文壇文学とはいよいよ遠ざかり、芸術家・思想家の精神のドラマを追求、『ゴッホの手紙』(1951~52)、『近代絵画』(1954~58)、未完のベルクソン論『感想』(1958~63)、『考へるヒント』(1959~63)を発表した。こうして文芸評論家というより、思想家としての風貌(ふうぼう)を濃くしていったが、その思想は西欧文化の受容を通じて自己を確立しなければならなかった日本知識人の苦悩を認めつつもそれを批判し、その超克の道を歴史と自然にみいだす方向をとっていった。「他人をダシにして己れを語る」「美は人を沈黙させる」などの名言が有名だが、晩年は学問論に向かい、1965~76年(昭和40~51)にわたった大著『本居宣長(もとおりのりなが)』、その補遺『本居宣長補記』(1982)は、もっとも日本的な知識人としての宣長の学問体系を跡づけ、宣長が古代人の「直知」を探り当ててゆくことをとらえたもので、小林秀雄その人の思索の行き着いたところを表現し、思索の思索として、あるいは思索と文学の一致を示すものとして、記念碑的作品となった。59年芸術院会員。67年文化勲章受章。昭和58年3月1日、腎(じん)不全のため没。
[高橋英夫]
『『新訂 小林秀雄全集』13巻・別巻2(1978~79・新潮社)』▽『河上徹太郎著『わが小林秀雄』(1978・昭和出版)』▽『中村光夫著『《論考》小林秀雄』(1977・筑摩書房)』▽『江藤淳著『小林秀雄』(1961・講談社)』▽『高橋英夫著『小林秀雄 歩行と思索』(1980・小沢書店)』
昭和期の文芸評論家。東京生れ。東大フランス文学科卒業。1929年,雑誌《改造》の懸賞評論《様々なる意匠》で文壇にデビュー,翌30年4月から1年間にわたって《文芸春秋》に文芸時評を連載,批評家としての地位を確立した。小林の批評は,作品の文体を通じて想像力としての作家の自己意識を論じるもので,日本における本格的な近代批評は小林によって創始されたといっても過言ではない。初期の評論にはフランス象徴主義の影響が強いが,それとともに西欧的知性と日本的感性とが重なり合う日本の近代の現状から目を離さないことも,小林の批評の特色の一つである。
33年,林房雄,川端康成らと雑誌《文学界》を創刊,また35年には長編評伝《ドストエフスキイの生活》の連載を開始し,《私小説論》で日本近代文学の特性を論じるなど,35年前後の小林は文学としての批評の確立と文学の社会化に力を注ぎ,プロレタリア文学崩壊後の文壇を主導する形となった。37年日中戦争が勃発,翌年小林は中国に渡り,《杭州》などの現地報告を書く。中国文化に接したことは,日本文化の伝統について小林の確信を深める契機となった。41年,太平洋戦争勃発の年あたりからは,同時代文学に背を向けて古典芸術と古美術の世界に没入する。日中戦争の長期化に伴う文化の病理を直覚し,健全な美を求めてのことである。こうして太平洋戦争下に,《無常といふ事》(1946)に収められた諸エッセーが書かれた。戦後の最初の作品となった《モオツアルト》(1946)に着手したのも戦時下のことである。
小林のこのような審美的な姿勢は,戦後の激動期にあっても変わらなかった。戦後の小林は《“罪と罰”についてⅡ》(1948)などでドストエフスキー論を深めるとともに,《ゴッホの手紙》(1952),《近代絵画》(1958)で画家の精神の劇を描き出し,近代芸術の精髄に迫ることを試みた。反時代的な論考によって,かえって近代という時代を根本から直視しようとしたのである。次いで対象を思想に転じる。ベルグソンを論じた《感想》(1958-63)は未完に終わったが,《考へるヒント》(1964)で広く一般読者の支持を得,続いて晩年の代表作《本居宣長》(1977)を完成した。この大作は言葉と歴史についての小林の思索の到達点であり,日本における近代批評の記念碑でもある。なお59年芸術院会員,63年文化功労者に選ばれ,67年文化勲章を受章した。
執筆者:吉田凞生
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昭和期の文芸評論家
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1902.4.11~83.3.1 昭和期の評論家。東京都出身。東大卒。1929年(昭和4)「様々なる意匠」で「改造」の懸賞論文の2席となり,続く評論活動で近代批評の確立者として認められた。33年「文学界」創刊に参加。第2次大戦前の「ドストエフスキイの生活」,戦中に書かれた「無常といふ事」「モオツアルト」,戦後の「近代絵画」「考へるヒント」「本居宣長」など,たんなる文芸批評にとどまらない幅の広い活動で大きな足跡を残した。
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…いっぽう,文芸欄は文壇の登竜門としての権威をもち,志賀直哉《暗夜行路》,中条(宮本)百合子《伸子》,芥川竜之介《河童》などの名作も生まれた。評論家の宮本顕治,小林秀雄,作家の芹沢光治良らが懸賞評論,懸賞小説から文壇に出ている。改造社は《女性改造》(1922‐24,46‐51),《文芸》(1933‐44)などの雑誌も発行したほか,単行本の出版もし,いわゆる円本時代の端緒をひらき,29年には《改造文庫》を発刊した。…
…小林秀雄の長編評論。《文学界》1935年1月号~37年3月号に連載され,39年5月創元社より刊行。…
…高橋新吉の影響を受けてダダイスト風の詩を試作し,また富永太郎との交遊を通じてフランス詩にも目を開かれている。25年愛人長谷川泰子とともに上京,小林秀雄を知ったが,泰子が小林と同棲するという事件が起こり,深い傷を受けた。しかし〈朝の歌〉(1926)によって詩人としての方向を自覚し,29年には河上徹太郎,大岡昇平らと《白痴群》を創刊,〈寒い夜の自我像〉などを発表して,魂の全体的な調和への希望と,それが果たされない人間の悲しみを歌った。…
… 大正末から昭和10年代半ばまで,フランス文学に対する関心はさらに拡大する。思考する人間の意識,ひいては制作する人間の意識の精密な分析を重視した象徴主義の批評精神に着目し,新しい文学批評の道を開いた小林秀雄,河上徹太郎,ジッドなどを通してつかんだ精神の自由な運動という考えを,文学の拠りどころとした石川淳,スタンダールを熟読し,第2次大戦後になってから,社会の圧力のもとでの個人の生き方を明晰に見つめる小説を書いた大岡昇平など,この時期に出発点をもつ作家は少なくない。また,《詩と詩論》など,シュルレアリスムをはじめとする同時代の文学の紹介に熱意を示す雑誌が,つぎつぎに刊行されたのもこの時期である。…
…〈新感覚派〉の理論はその一例である。このような時代のなかで,西欧文学における近代人の自意識をわがものにして,文芸批評を自立したジャンルとして確立したのが小林秀雄である。ここにおいて批評はそれ自身の論理と世界とをもつ文学様式として,創作の従属物から自立した。…
…小林秀雄の評論集。1946年創元社刊。…
…第3には,作品世界が実生活と別次元に立つことを忘れ,作品と実生活の混淆が生じがちである。こういう得失の検討はすべての私小説論でなされてきたが,中でも小林秀雄《私小説論》(1935)は重要である。小林はその中で〈社会化した私〉というキーワードを用いて私小説を批判しつつ,その批判を通じて否定しえぬ〈私〉の存在することを指摘した。…
※「小林秀雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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