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わが国で大正末年から使われ始めた文芸用語。中村武羅夫(むらお)の「本格小説と心境小説と」(1924)によれば、作者身辺の事実を題材として「ひたすら作者の心境を語らうとするやうな小説」をさす。これを「芸術の本道」として称揚したのが、久米正雄(くめまさお)の「私小説と心境小説」(1925)で、以来、その無思想性や技巧偏重を非難されながら、心境の練磨を第一義とするわが国独特の文学理念が形成された。当初は「私(わたくし)小説」とほぼ同義に用いられたが、伊藤整(せい)や平野謙(けん)らの分析によって、全き自己完成を目ざす調和型の作品を心境小説とよび、破滅型の私小説と区別することが定説になった。志賀直哉(なおや)『城の崎(きのさき)にて』(1917)、尾崎一雄(かずお)『虫のいろいろ』(1948)などが代表的作品。
[宗像和重]
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…しかし花袋のように,事実尊重は,公認の社会道徳から逸脱した私的側面,主として男女の情痴や破れかぶれの生活をえがく方向に向かい,岩野泡鳴〈泡鳴五部作〉(《放浪》《断橋》《発展》《毒薬を飲む女》《憑き物》,1910‐18),近松秋江《疑惑》(1913)などをへて,葛西善蔵の苛烈で自虐的な自己剔抉(てつけつ)に達し,《子を連れて》(1918)や《湖畔手記》(1924)を生んだ。そこまでいくと赤裸々な自己暴露も,人生の卑小さ醜さの底での自己観照,自己救済に転ずる契機をつかむが,それが私小説の究極的形態としての心境小説になってゆく。心境小説の典型には透明な死生観を述べた志賀直哉《城の崎にて》(1917)があげられる。…
※「心境小説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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