…上野館林藩主。13世紀宇都宮頼綱の子泰業が上総国秋元庄を領し,師朝のとき秋元氏を称したと伝える。その後長朝は徳川家康に仕え,1601年(慶長6)上野国総社1万石の城主,その子泰朝は甲斐谷村(やむら)1万8000石の城主となった。喬知は老中となり,武蔵川越5万石を領し,涼朝も老中となり,出羽山形6万石に転封。1845年(弘化2)志朝のとき上野館林6万3000石に転じ廃藩を迎えた。維新後子爵。【藤井 譲治】…
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[産業の発展]
近世の統一後,上野国でも新田開発が活発になった。戦国期末,大谷休泊による休泊堀(邑楽郡)や,長野氏による長野堰(群馬郡)の開削があったが,江戸期では1604年総社藩主秋元長朝による天狗岩堰が有名である。利根川の水を引くこの用水は,さらに代官伊奈忠次によって延長され,新田2万7000石を得た。…
※「秋元長朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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