コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

秋吉敏子 あきよし としこ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋吉敏子 あきよし-としこ

1929- 昭和後期-平成時代のジャズピアニスト。
昭和4年12月12日中国遼陽生まれ。大連音楽学校でまなぶ。戦後,福岡の駐留軍クラブなどで演奏。昭和31年アメリカに留学,翌年ニューポート-ジャズ祭に出演して注目される。以後ニューヨークを本拠に活躍。日本的な要素をジャズに融合させることを使命としてつくった「孤軍」,社会性のつよい「ミナマタ」,平和への希求をこめた「ヒロシマ」などを自己のオーケストラで演奏し,14回もグラミー賞候補にあげられた。平成11年国際ジャズ名誉の殿堂入り。17年朝日賞。バークリー音楽学校卒。本名は龝吉(あきよし)敏子。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋吉敏子
あきよしとしこ
(1929― )

ジャズ・ピアノ奏者、作曲家、楽団リーダー。本名穐吉(あきよし)敏子。父の勤務地である中国東北部の遼陽(りょうよう)に生まれる。大連(だいれん)音楽学校でピアノを学んだ。1946年(昭和21)帰国、翌1947年からジャズを演奏。1956~1959年アメリカ、ボストンのバークリー音楽院に留学し、1965年以降アメリカで活躍する。1973年に夫ルー・タバキン(テナー・サックスとフルート奏者)と楽団を結成し、自作のみを演奏。アメリカのジャズ専門誌の1978年人気投票で、ビッグ・バンドの第1位に選ばれた。音楽生活50周年にあたる1996年(平成8)には自作曲集CD『四季』でミュージック・ペンクラブ(日本の音楽評論家団体)から音楽賞を授けられ、自伝『ジャズと生きる』を出版した。1999年5月には、日本人としては初めて「国際ジャズ名誉の殿堂」入りを果たした。殿堂はジャズの発展に貢献したアーティストらをたたえようと1991年に設立されたもので、これまでライオネル・ハンプトン、マックス・ローチ、故デューク・エリントンらが選ばれている。アメリカ・ミズーリ州の殿堂事務局は「ジャズを世界的な芸術に高めた」と評価している。[青木 啓]
『穐吉敏子著『ジャズと生きる』(岩波新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の秋吉敏子の言及

【ジャズ】より

…20世紀初め,アメリカ南部の港町ニューオーリンズの黒人ブラスバンドから生まれた音楽。1920年代を通じて,シカゴ,カンザス・シティ,またニューヨークなどの北部諸都市に伝播し,30年代後半にはスウィング・ミュージックと呼ばれて世界に広まった。第2次世界大戦まではダンス音楽であったが,戦後は鑑賞音楽として独自の発展をとげた。20世紀のクラシック,ポピュラー音楽,さらに他の芸術・文化に与えた影響は,ジャズ自体の発展にもまして重要である。…

※「秋吉敏子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

秋吉敏子の関連キーワード清水宏斎藤寅次郎稲垣浩マキノ雅広島津保次郎内田吐夢小津安二郎溝口健二五所平之助田坂具隆

秋吉敏子の関連情報