ローチ(読み)ろーち(その他表記)Ken Loach

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローチ」の意味・わかりやすい解説

ローチ(Ken Loach)
ろーち
Ken Loach
(1936― )

イギリスの映画監督。イングランド中部ナニートンの生まれ。本名ケネス・ローチKenneth Loach。オックスフォード大学で法律を学んだ後、1963年BBCに入社。『アップ・ザ・ジャンクション』(1965)、『キャシー・カム・ホーム』(1966)など、社会問題と正面から取り組んだテレビ・ドラマの演出で注目を集める。1967年、『夜空に星のあるように』で映画監督デビュー。同年プロデューサーのトニー・ガーネットTony Garnett(1936―2020)とケストレル・フィルムを設立、鷹を飼い慣らす孤独な少年をドキュメンタリータッチで描いた『ケス』(1969)を発表し、高く評価される。その後も疎外された人々の視点からさまざまな社会問題を扱う硬派の映像作家として、テレビ、映画の双方で活躍。映画作品には『ブラック・アジェンダ 隠された真相』(1990年、カンヌ国際映画祭審査員特別賞)、『レイニング・ストーンズ』(1993)、『大地と自由』(1995)、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998)、『麦の穂をゆらす風』(2006年、カンヌ国際映画祭パルム・ドール)、『この自由な世界で』(2007)などがある。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧(日本公開作)

夜空に星のあるように Poor Cow(1967)
ケス Kes(1969)
ブラック・アジェンダ 隠された真相 Hidden Agenda(1990)
リフ・ラフ Riff Raaff(1991)
レイニング・ストーンズ Raining Stones(1993)
レディバード・レディバード Ladybird,ladybird(1994)
大地と自由 Land and Freedom(1995)
カルラの歌 Carla's Song(1996)
マイ・ネーム・イズ・ジョー My Name Is Joe(1998)
ブレッド&ローズ Bread and Roses(2000)
ナビゲーター ある鉄道員の物語 The Navigators(2001)
SWEET SIXTEEN Sweet Sixteen(2002)
11''0901/セプテンバー11 イギリス編 11'09''01 - September 11(2002)
やさしくキスをして Ae Fond Kiss...(2004)
明日へのチケット Tickets(2005)
麦の穂をゆらす風 The Wind That Shakes the Barley(2006)
それぞれのシネマ~「ハッピーエンド」 Chacun son cinema - Happy Ending(2007)
この自由な世界で It's a Free World...(2007)
エリックを探して Looking for Eric(2009)
ルート・アイリッシュ Route Irish(2010)
天使の分け前 The Angels' Share(2012)


ローチ(Max Roach)
ろーち
Max Roach
(1924―2007)

アメリカのジャズ・ドラム奏者。ノース・カロライナ州ニュー・ランド生まれ。本名マクスウェル・ローチMaxwell Roach。4歳のときニューヨークに移住。10歳からゴスペルの楽団でドラムを演奏する。マンハッタン音楽学校で学び、1942年からハーレムのクラブで先輩ジャズメンと共演を始める。当時の新しいジャズであるビ・バップを理解し、ディジー・ガレスピー、ベニー・カーターBenny Carter(1907―2003)らのグループを経て、1947年から1949年までチャーリー・パーカークインテット(五重奏団)に参加して広く知られた。ケニー・クラークKenny Clarke(1914―1985)に始まるバップ・ドラム奏法と近代ドラム奏法を発展させた、正確で知的なドラムの名手である。1954年から1956年までトランペット奏者クリフォード・ブラウンとのクインテットで活躍して名声を高めた。1956年に4分の3拍子による変拍子ジャズの名演アルバム『Jazz in 3/4 Time』を発表。1960年代前半は黒人問題で積極的に行動し、歌手のアビー・リンカーンAbbey Lincoln(1930―2010)を迎えた政治色の濃いアルバム『ウィ・インシスト』We Insist! Max Roach's Freedom Now Suite(1960)などを発表する。1962年アビーと結婚(1970年離婚)。1970年代以降はフリー・ジャズも演奏した。1972年からはマサチューセッツ大学で教鞭(きょうべん)をとり、若手逸材を発掘して意欲的な活動を続けた。

[青木 啓]

『市川宇一郎著『極私的モダン・ジャズ・ドラマー論』(2002・音楽之友社)』


ローチ(James Jeffrey Roche)
ろーち
James Jeffrey Roche
(1847―1908)

アメリカのジャーナリスト、作家。アイルランド生まれ。19歳のときにアメリカのボストンに渡り、アイルランド系社会で新聞・雑誌の編集、優れた論説の寄稿者として知られた。小説『不法戦士の物語』(1891)は冒険的な小説として人気を博し、詩作でも繊細なユーモアと風刺の才で評価された。共編で『アイルランド文学全集』全10巻(1904)があり、大統領セオドア・ルーズベルトのときにジェノバ領事も務めた。

[後藤昭次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローチ」の意味・わかりやすい解説

ローチ
Roach, Hal

[生]1892.1.14. ニューヨーク,エルマイラ
[没]1992.11.2. カリフォルニア,ベルエア
アメリカ合衆国の映画制作者,監督,脚本家。本名 Harry Eugene Roach。ハリウッドの初期コメディ映画のスタイルを築いたクリエーターとして,マック・セネットと並び称される。職業を転々としたのち,1912年西部劇の端役として映画界入り。1914年ハロルド・ロイド主演のコメディを制作するための会社を設立した。5年後にはカリフォルニア州カルバーシティーに新会社ハル・ローチ・スタジオを設立し,『ロイドの要心無用』Safety Last(1923)などのロイド主演作を次々と制作。1920年代はウィル・ロジャーズの主演シリーズや「チビッコ・ギャング」Our Gangシリーズなど,約 2000本の短編コメディと多数の長編映画を生み出した。最大の代表作は,スタン・ローレルとオリバー・ハーディのコンビが主演を務めるコメディ。また,映画監督のレオ・マッカリー,女優のジーン・ハーロー,ポーレット・ゴダードなど,新人時代にローチ作品に参加したのちハリウッドで成功を収めた映画人も多い。ローレルとハーディ主演の『極楽ピアノ騒動』The Music Box(1932)と,「チビッコ・ギャング」シリーズの "Bored of Education"(1936)でアカデミー賞短編賞を受賞。1983年アカデミー賞名誉賞を授与された。

ローチ
Roche, Kevin

[生]1922.6.14. アイルランド,ダブリン
[没]2019.3.1. アメリカ合衆国,コネティカット,ギルフォード
アイルランド生まれのアメリカ合衆国の建築家。フルネーム Eamonn Kevin Roche。1945年ダブリンのアイルランド国立大学で建築学の学士号を取得。ダブリンとロンドンで短期間働いたのちアメリカに渡り,シカゴのイリノイ工科大学でルートウィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのもと建築を学んだ。ニューヨークの国際連合本部で一時的に働いたのち,1950年エーロ・サーリネン事務所に入所。1961年サーリネン亡きあと事務所を統括し,ワシントンD.C.のダレス国際空港ターミナルビル(1962)や,ミズーリ州セントルイスのステンレス鋼製ゲートウェイ・アーチ(1965)など,サーリネンが残した未完成のプロジェクトを完成させた。1966年ケビン・ローチ・ジョン・ディンケル・アンド・アソシエーツを設立。作品にマサチューセッツ大学美術センター(1964~74),ニューヨークのフォード財団本部(1968),ゼネラル・フーズ本社(1977),パリ郊外のブイグ本社(1983)など。プロジェクトごとに多彩なデザインを展開,その多様性,都市的スケールのモニュメンタルな表現に特徴があった。1982年プリツカー賞など受賞多数。1994~97年アメリカ芸術文学アカデミー会長を務めた。

ローチ
Loach, Ken

[生]1936.6.17. ナニートン
イギリスの映画監督。フルネーム Kenneth Loach。社会的リアリズムの名手として知られる。オックスフォード大学で法律を学ぶが,演技に関心をもち,卒業後は劇団に入る。BBCのディレクターに就任,1960年代はドキュメンタリードラマの監督を務めた。『夜空に星のあるように』Poor Cow(1967)で映画監督としてデビュー。家庭にも学校にも居場所がない少年が,ハヤブサの雛と心を通わせる様子を描いた感動作『ケス』Kes(1970)は,絶賛を浴びた。北アイルランドを舞台にした政治スリラー『ブラック・アジェンダ/隠された真相』Hidden Agenda(1990)でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。続く『リフ・ラフ』Riff-Raff(1991),『レイニング・ストーンズ』Raining Stones(1993)でもイギリス労働者階級の日常をリアルに描き,『レディバード・レディバード』Ladybird Ladybird(1994)も称賛された。1920年のイギリスからの独立戦争中のアイルランドを舞台に,祖国の自由を求める若者たちの姿を描いた『麦の穂をゆらす風』The Wind That Shakes the Barley(2006)はカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールに輝いた。2003年,高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。

ローチ
Roach, Max

[生]1924.1.10. ノースカロライナ,ニューランド
[没]2007.8.16. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国のジャズ・ドラマー。本名 Maxwell Roach。 10代の後半でジャズ界に入り,20歳で名声を確立。チャーリー・パーカー,マイルス・デービスらと共演し,1954年にトランペット奏者のクリフォード・ブラウンと組んでクインテットを結成した。 1960年代に入ってからは音楽に社会的なアピールを盛り込み,人種差別に抗議するなど,意欲的に活動。 1970年代には打楽器グループ「ウン・ブーム」M'Boomを結成,またマサチューセッツ大学で教鞭をとるなど多彩に活躍し,1980年にはセシル・テイラーやアンソニー・ブラクストンらと共演,21世紀初頭までツアーを続けた。 1963年初来日。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ローチ」の意味・わかりやすい解説

ローチ
Maxwell Roach
生没年:1924-2007

モダン・ジャズのドラム奏法の発展に最も貢献したアメリカの黒人ドラマー。ノース・カロライナ州生れ。〈マックス〉の愛称で知られる。ニューヨークに興りつつあった新しいジャズの動きに参加,チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらと共演して腕を磨く。優れたリズム感とテクニックで,1945年ころにはすでに一流ミュージシャンの仲間入りをし,54年にトランペットのクリフォード・ブラウンClifford Brown(1930-56)を加えた五重奏団を結成したが,これは50年代の最高のコンボの一つだった。56年,ブラウンを交通事故によって失ってからは,ケニー・ドーハムKenny Dorhamやブッカー・リトルBooker Little Jr.ら有能な新人を加えた。60年,人種差別への抗議をこめたアルバム《ウィ・インシスト!We Insist》(キャンディッド)で論争を巻き起こし,3拍子や5拍子のジャズを試みるなど,さまざまな話題を提供してきた。62年には《ウィ・インシスト!》にも参加したジャズ・ボーカリスト,アビー・リンカンAbbey Lincoln(1930- )と結婚した。演奏にも知性を感じさせるが,いくつかの大学で黒人芸術の講義をするなど,活動の幅も広い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のローチの言及

【ジャズ】より


[モダン・ジャズの成熟]
 1950年代後半にいたり,それまで鳴りをひそめていたニューヨークの黒人ジャズが人気を盛り返した。グループ表現という点ではやや無秩序だったバップ・イディオムを,コンボ形式の中で修正し,しかもインプロビゼーションimprovisation(即興演奏,アドリブと同意)を主体としたマイルス・デービス,ソニー・ロリンズ(T.ロリンズ),アート・ブレーキーArt Blakey(1919‐90,本名Abdullah Ibn Buhaina),マックス・ローチら黒人によるモダン・ジャズは,〈ハード・バップhard bop〉と呼ばれ,その力強く直截な表現は,ウェスト・コーストの白人プレーヤーによる,近代音楽との融合に傾いた実験的なジャズを圧倒する勢いをみせた。このころからアフリカでは黒人指導者たちによる独立が相次ぎ,アメリカ国内にあっては白人・黒人の共学問題,バス・ボイコット運動,公民権獲得運動など黒人差別撤廃の動きが大きくなった。…

※「ローチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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