秋和村(読み)あきわむら

日本歴史地名大系 「秋和村」の解説

秋和村
あきわむら

[現在地名]上田市大字秋和

上田城下の北西にあたる。北国脇往還沿いの村。東は生塚うぶつか村、西は上塩尻かみしおじり村に接し、南は千曲川まで、北は太郎たろう山塊のうち虚空蔵こくぞう山嶺をもって、埴科はにしな南条みなみじよう(現埴科郡坂城町)と境を接する。

北側山麓に古墳時代中期後半と推定される、当地方では規模の大きい大蔵京おおくらきよう古墳(方墳)があることから、古代より開発された地域である。その後小泉こいずみ庄に含まれたと伝えるが(秋和村誌)確証はない。長享二年(一四八八)七月諏訪社下社の春秋之宮造宮之次第(諏訪大社上社文書)に「かさなし、秋和・塩尻」と記され、塩尻とともに「かさなし」の造宮役を課せられている。天文二二年(一五五三)武田晴信は、小県ちいさがたに進出し、真田幸隆に秋和の地三五〇貫文を宛行っている(高白斎記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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