秋岡村(読み)あきおかむら

日本歴史地名大系 「秋岡村」の解説

秋岡村
あきおかむら

[現在地名]大分市岡川おかがわ 秋岡・蕨野わらびの

霊山りようぜん山麓に位置し、東は石川いしかわ村、北は高城たかじよう村。中世稙田わさだ庄秋岡名の遺称地。元和九年(一六二三)一部が豊後に配流となった元越前福井藩主松平忠直(一伯)領、一部は岡藩領になったと考えられ(「中川氏年譜」「大分市史」など)、同藩領分は幕末まで続く。松平忠直領分は慶安三年(一六五〇)幕府領となり、天和二年(一六八二)から貞享三年(一六八六)の日田藩領時代を除いて正徳二年(一七一二)まで幕府領(寛文五―六年肥後熊本藩預地)。正徳二年日向延岡藩領となり幕末まで続く。正保郷帳によると忠直領の田高四五石余・畑高六六石余、津守つもり庄に所属。


秋岡村
あきおかむら

[現在地名]美方町秋岡

東垣ひがしがき村の南にある。矢田やだ川の最上流域を占め、集落はおもに同川左岸の山腹に発達。本村の北に居望いもう南西寺田てらだの各枝村があった。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」に「あき岡」とみえ当地には横井氏や上田氏の一族が住んでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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