秋月村(読み)あきづきむら

日本歴史地名大系 「秋月村」の解説

秋月村
あきづきむら

[現在地名]土成町秋月

御嶽おみたけ山の南麓に位置。東・南・西の三方水田みずた村に囲まれ、北は浦池うらのいけ村。「和名抄」にみえる阿波秋月郷の遺称地で、中世には秋月庄一帯に成立していた。阿波郡に属し、慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に秋月とみえる。同二年の分限帳では長江源右衛門が二三五石余、田川新左衛門が一〇二石余、森田助兵衛が七石、樋口分右衛門が当村およびかがみ(香美村、現市場町)の一〇三石余を知行

秋月村
あきづきむら

[現在地名]和歌山市秋月

名草なくさ郡に属し、はな山の南西太田おおだ村の東南にある。西に日前国懸ひのくまくにかかす宮が鎮座する。中世は同宮領秋月郷の地で、永仁三年(一二九五)三月二三日の秋月郷検田取帳並検畠取帳(紀家蔵)によれば、田地二五町六段一〇〇歩(うち新田一段)、畠地二一町二段二八〇歩であった。また同年の諸郷奉分田所当注文写(国立史料館蔵)によると、秋月郷には二名の百姓名と当出作があり、除米のうちに本荷前・新荷前・臨時御祭饗料などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報